昨晩、ラスベガスで本開催を迎えたDICE Summitにて、女優エレン・ペイジが主演する新作“Beyond: Two Souls”や“Heavy Rain”といった大人向けの作品で知られるQuantic DreamのボスDavid Cage氏が“The Peter Pan Syndrome: The Industry That Refused to Grow Up”(ピーターパン症候群:成長することを拒絶したゲーミング産業)と題したプレゼンテーションを行い、昨年氏がインタビューで言及していたビデオゲーム業界の成長に関するトピックに具体例を交え、前向きな提案と見解を提示しました。
壇上で、ビデオゲーム市場において最も売れた上位30本のタイトルリストを示したDavid Cage氏は、Call of DutyやGrand Theft Autoシリーズ、任天堂作品が並ぶリストを指し、チャートは3つのジャンルだけで構成されていると指摘。
それは“子供向けのゲーム”と“カジュアルゲーム”、そして“暴力的なアクションゲーム”だと説明した氏は、この40年間をふり返れば、ビデオゲーム産業が同じテーマを使い続けてきたことが判ると述べ、“あなたはヒーローで、どこかに向かう為には人々を殺す必要があり、世界を解放する。或いはお姫様を救出する。”と累計的で変化のないビデオゲームのフォーマットを揶揄し、産業が子供をターゲットにした伝統的な市場からヤングアダルト層へと移行する必要があると説いています。
そして、ビデオゲーム産業の40年後には今と同じオーディエンスが存在するとして、聴衆の成長や市場の変化に対応し、産業そのものを発展させるために必要な9つのアイデアを以下のように提示しました。
「私達は、どうやってプレイヤーが母親や祖母に話掛けられるようなコンテンツを作ればいいだろうか」と尋ねた氏は、「私達は彼らをどのようにプレイさせているか、私達は大人のために、満足できるインタラクティブな経験を作ることができるだろうか」と重ね、普段ゲームをプレイしない層や高年齢層など、ビデオゲームの存在をかろうじて認識しているようなオーディエンスが産業における潜在的な市場であることを示唆しました。
「ビデオゲーム産業は、同じものを同じ方法で作り続け、一晩の内に商機を拡大させ続けることなど期待できない」とビジネス的な構造上の制限を挙げたCage氏は、「今のビデオゲーム産業は、暴力とプラットフォームが唯一の成長手段ではないと決意する必要がある。」と述べ、「現在の産業において、キャラクターが銃を持たない場合、デザイナーは何を行えばいいのか知りさえしない」と説明しました。
実例として、Indigo Prophecyの調整に関するミーティングでのエピソードを挙げた氏は、主人公が武器を使用しないと説明した際に、パブリッシャーが“まるで理解できない”といった風に「じゃあ、彼は車を運転するのか?」と尋ね、それさえもない事を知った後に「それはゲームではない!」と断じたことについて、「果たして私達は銃なしでゲームを作ることが出来るのか、それは産業全てのための挑戦だ」と投げかけています。
同様に、氏はゲームの“習熟”に関する問題についても言及し、時間を要するシステムの習熟や熟達が多くの人々(子供よりも大人により顕著)にとって退屈なものだと述べ、これに基づかないゲームを作ることは可能だろうかとの問いを示しました。
作品が持つ“意味”について考えた場合、多くのゲームが伝えるべき何かを持っていないと語った氏は、「ゲームはあなたの身体機能であるアドレナリンの分泌を促し、楽しい瞬間を過ごさせるだけに存在する、確かにそれはクールだ」と発言。
市場を占める3種のジャンルについて言及した際に、ゲームが“おとぎの国”に暮らしていると指摘していた氏は、本当の意義を得るためにコンテンツを作ることの重要性を強調し、現実世界のテーマを用いるべきだと提言。政治や社会の中心にゲームを置くために、人間性や人生、人々について、社会、人間同士の関係性、そして私達の世界について語る必要があると主張した氏は、ゲームが非常に意義ある方法でこれを実現可能だと述べ、全てのクリエイティブなメディアがこれを達成すべきだとアピールしました。
「プレイヤーが親指をどれほど早く動かすことができるかよりも、プレイヤーの心に注目しよう」と語った氏は、プレイヤーの旅とチャレンジの相反について考える必要があると主張。ゲームは障害の連続なのか、それとも旅たり得るのか、単に時間を重ね費やすに過ぎないものなのかと、熟達に関する問題を改めて示し、ゲームが挑戦ではなく旅に注目するべきではないかと提案しました。
氏は現在開発を進めている新作“Beyond: Two Souls”における女優エレン・ペイジの起用や、Omikronにおけるデヴィッド・ボウイとの取り組みや、その価値について語り、彼らがゲームに新しい展望をもたらしただけでなく、多くの学ぶべき点があったと発言。他の産業に存在する豊かな才能達との連携が新たな成長に繋がると説明しました。
前述した他分野との連携に続き、ハリウッドとの新しい関係性について言及した氏は、これまでのハリウッドとビデオゲーム産業の関係が“ライセンス”に絡む伝統的な“不和”の上に成り立っていたと説明し、両者が建設的でバランスの取れた意義あるパートナーシップを結ぶべき時がやって来たと発言。「私達は共に新しいエンターテインメントのフォームを発明することが出来る。彼らはリニアなアートに秀で、私達はインラクティブに長けている。私達はこれを集約するべきだ。」と主張しました。
「私は自分を作家だと考えている」と語った氏は、こう続けています。「私は感動や対話に関する台本を書き、時折暴力を、そしてセックスを描く。それは素晴らしいことだ。」「しかし、今の私には肩越しにそれを見ている誰かがいて、こう言うんだ。“駄目だね、その表現は変更しなければならない、それは認められていない”」
「なぜ映画ではOKなのか、なぜ小説では許されるのか?」「彼らの答えはいつも同じです — なぜなら、ゲームはインタラクティブだからだ」
ビデオゲームにおける表現が不当に制限されていると主張する氏は、もうひとつ全く相反する側面をこう提示しました。「一方で、私は昨年のE3で目にした幾つかの作品に大きなショックを受けた。幾つかのゲームは、より暴力的か、或いはライバルよりも少しでも多くの性的な表現を盛り込むことでトップを目指していた。私はこれが間違いだと考えている。」
2つの側面を示した氏は、ビデオゲーム産業の姿勢について、「私達は時として、度を超しすぎるし、そして私達自身がまるで愚かしいティーンエイジャーかのように振る舞う。」「これは私達の産業だけでなく、社会全体に対しても責任が問われる問題であり、こういった振る舞いはもう止めるべきだろう」と語り、表現の自由がルールを持たない無秩序なものではなく、コンテンツを創出することの責任の上に成り立つものであることを強調しました。
ここまで、ビデオゲーム産業におけるパブリッシャとデベロッパに纏わる内省的な変化や改革の必要性を訴えてきたCage氏ですが、ここで実際の成長にはゲームジャーナリズムが担う多くの積極的な役割が不可欠だと主張し、レビュースコアを与えるだけでは不十分だとして、以下のように続けています。
「この進化と変化において報道メディアは重要な役割を持つと考えている。」「ある側面には、非常にクレバーな人々がいて、彼らはビデオゲーム産業について考え、分析し、彼ら自身がどのように今後歩むべきかを見ている。」「しかし、これと対極に位置する人々は単にスコアを与えるだけだ。ああ、カメラのバグがあるな、5/10だ。もしくは、AIが余り良くないね、よし6点。物語が退屈だ、きみは6点。」
「私はこれが報道メディアのあるべき姿ではないと考える。分析はどこにある?それに対する思索は?彼の見解を、批評家として尊敬することが出来ますか?批評家であるということは職業であり、それにはスキル、そして思想を必要とします。」
ここまで示した上で、Cage氏はフランスで多くのヌーヴェルヴァーグ作家を生み、映画産業が良い方向へ進む形成を育んだ著名な映画批評誌“カイエ・デュ・シネマ”を例に挙げ、今こそビデオゲーム産業における“カイエ・デュ・シネマ”が必要だと語っています。
最後にビデオゲーム産業のオーディエンスであるゲーマーについて言及したCage氏は、ゲーマーがゲームを買うこと、もしくは買わないことが政治における投票に非常に似ていると説明。ビデオゲーム産業がどの方向へと向かうか、その決定はゲーマーに託されていると述べ、こう続けました。
「がらくたを買って下さい。そうすればより多くのがらくたを手にすることができるでしょう。あるいはもっと熱狂的で危険なゲームを買って下さい。そうすればより危険なゲームが得られます。あなたがゲームを買う時、あなたはビデオゲーム産業に向かって欲しいと望む道に対して投票しているのです。」
プレゼンテーションの最後にCage氏は、これらの問題に取り組めば、ビデオゲーム産業は大規模市場となる機会を得るだろうと語り、改めて“おとぎの国”に暮らす少年から大人へと成長することの必要性を強調しました。
以上、海外市場に限らず、国内が抱える問題にも多く当てはまるトピックへの言及が見られたDavid Cage氏のプレゼンテーションですが、こういった問題が確かに散見されると同時に、意欲的な取り組みを見せる象徴的な作品が確かな存在感を放ち始めていることも事実であり、産業が今後どういった方向に成長の舵を切るのか、対岸の火事とは言えない数々の議題はクリエイターやパブリッシャーだけに向けられた問題提起ではないと言えそうです。
また、ゲームの表現における著しい進化は、もはやゲームの本質そのものを改めて問い直すポイントに達しているとも言えます。Cage氏が示した豊かさをさらに推し進め“熟達”や“意義”、“体験”に充ち満ちた世界でゲームはまだゲームである必要があるのか、この点については、DICE 2013の基調講演に登壇したJ・J・エイブラムス監督が、ゲーム的な映像作品と、映画的なゲーム作りの差について、シーンの捉え方或いは見方に決定的な違いが存在することを挙げており、奇しくもDavid Cage氏が提言したハリウッドとの新たな関係性の構築が今後の成長における鍵であることを象徴しているようにも感じられます。
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