先日、人気シリーズ最新作“マフィア III”の登場に向けた第3弾の特集記事として、2Kのエグゼクティブ・プロデューサー、デンビー・グレイス氏が最新作のコンセプトや誕生の背景、開発体制等について語るインタビューをご紹介しました。
第4弾となる今回は、PS3とXbox 360、PC/Mac向けの続編として2010年に発売された2K Czechの「Mafia II」について、初代以上に難しいテーマを掘り下げた挑戦と、その野心的な取り組みから評価がやや分かれる結果となった背景にスポットを当て、“Mafia II”ならではの魅力を振り返ってみたいと思います。
“Mafia II”の主人公ヴィト・スカレッタは、シリーズ3作品全てに登場する唯一の人物であり、最新作“マフィア III”では新主人公リンカーン・クレイの復讐に手を貸す腹心の1人として、非常に重要な役割を担うことが既に報じられています。彼の人物像や出自、数奇な運命を巡る物語がどういったアプローチで描かれたか、プレイ済みの方も来る最新作に向けて今一度その背景やテーマを整理しておいてはいかがでしょうか。
貧しいイタリア系移民の息子として生まれたヴィト・スカレッタは、幼少期から貧困を抜け出すためにあがき、打ちひしがれていた。富と尊敬を勝ち取るただ一つの方法は、マフィアに加わることだ。貧困の中で死んだ父を憎む彼はストリートでメイドマンになることを夢みる。
幼なじみのジョーと共に小さな犯罪を繰り返すヴィトは、ストリートで名を上げ、マフィアに取り入るためその実力を示した。強盗や自動車の強奪といった小さな仕事を手始めに、2人は遂にファミリーの階段を登り始める。しかし、夢みたワイズガイの生活はかつて思い描いていた魅力的なものではなかった……。
初代“Mafia: The City of Lost Heaven”の発売から8年を経て、2010年8月に海外ローンチを果たした“Mafia II”は、ニューヨークをモデルに選んだ架空の都市“エンパイアベイ”を舞台とする、三人称視点のオープンワールドアクションシューターで、傑作と名高い前作をベースに、メカニクスやコンテンツをほぼ全面的に拡張し、1943年から1951年の出来事を通じて、主人公ヴィトと相棒ジョーの活躍と成功、大きな流れに翻弄される2人の運命を描く作品となっています。
続編の開発は、初代に続いて2K Czech(旧Illusion Softworks)が担当しており、プロデューサーLukas Kure氏や開発ディレクターPetr Vochozka氏、リードプログラマーDan Dolezel氏、アートディレクターRoman Hladik氏、そして初代の脚本とカットシーンの監督を務めたDaniel Vavra氏など、主要なリード陣が数多く参加する直系の続編として、テーマやアプローチ、主人公の人間性、ゲーム的ストーリーテリングの手法など、多くの要素が初代と対を成す構造であることも大きな特色の1つでした。
“Mafia II”がローンチを果たした2010年は、CoD: Black OpsやMass Effect 2、STALKER: Call of Pripyat、BioShock 2、Red Dead Redemption、God of War III、Halo: Reach、スーパーマリオギャラクシー2、Limbo、Super Street Fighter IVといった作品が並ぶ、PS3とXbox 360世代後期の最も充実した1年で、コンソール世代の本格的な移行に向けて、今現在の先進的なメカニクスや構成、新たな手法を生み出す礎や兆しとなる種を宿した先駆的な作品と、前世代(PS2/Xbox/GameCube)から積み上げられたビデオゲーム手法の集大成的な作品が混在する非常に特殊な時期だったと言えます。
こういった観点から見た“Mafia II”は、前作のミッション構造やメカニクス、リニアな展開を含む手堅いフォーマットをベースに、当時の最先端技術を用いて、舞台となる環境やゲームプレイメカニクス、物語的なサイズ、ビジュアル、キャラクター表現、コンテンツなど、いわば“足し算的”にゲーム全体の拡張をはかった集大成的な作品の1つでした。
また、多数のDLCがリリースされ、リニアなストーリー体験にフォーカスした本編とは対称的に、ゲームシステムや戦闘そのものの楽しさにスポットを当てるサンドボックス的コンテンツが本編に色を添えています。
■ “Mafia II”の主な改善と拡張
- 戦闘システムの改善:三人称視点の戦闘にカバーシステムを導入したほか、コンテクスチュアルな演出やコンボを含む近接戦等システムの大幅な拡張を特色とし、体力が自動回復制に刷新された。また、僅かではあるが、ステルスプレイが楽しめるパートも存在する。
- 難易度選択の導入:新たにイージーとノーマル、ハードからなる3種の難易度が導入され、高い難易度を誇った前作に比べて、ストーリーを容易に体験することが可能となった。
- 車両のバリエーションやカスタマイズ要素の強化:70種の乗用車が登場した初代に対して、車種の数こそ僅かに減少したものの、DLC分を含め、乗用車からトラック、ワゴン、装甲車に至るまで、50種を超える幅広い車両が導入された。また、多くの車両にパーツの改造を含む細かなカスタマイズと修理要素が実装されている。
- 施設やインタラクションの強化:自動車の修理工場をはじめ、レストランや衣料品、銃砲店など、利用可能な施設や店舗が数多く導入された。また、環境やオブジェクトに対するインタラクションも全体的に増えている。
- 収集要素の強化:新たにPlayboy誌と提携し、それぞれに個別のカバーアートとヌードグラビアを持つ50冊のPlayboy誌が収集要素として導入された。なお、Playboy誌との提携は最新作“マフィア III”においても続いており、人気モデルEugena Washingtonをプレイメイトに起用した素敵なグラビアが公開済み。また、さらなる収集要素として街のあちこちに全159種もの指名手配ポスターが貼り出されている。これは、2K Czechチームの開発者をマグショット風に撮影したもの。
■ “Mafia II”向けにリリースされたDLCのラインアップ
“Mafia II”には、追加の衣装と車両を導入する5つのコンテンツパックと3種のストーリーキャンペーンが導入された。3種の追加キャンペーンは、本編よりもサンドボックス的な楽しさや戦闘に重点をおいたアーケードライクなゲームプレイが楽しめる。
- Joe’s Acventure(ジョーの生きざま):ヴィトの親友ジョーを主人公に、ヴィトが収監されていた1945年から1950年に掛けて起こった出来事とヴィトが実刑判決を受けた背景を描くストーリーDLC。“ジミーの背信”と“ジミーの復讐”に似たアーケードスタイルのバリエーション豊かなミッションが25種導入されるほか、新衣装やロケーション、追加のプレイボーイ誌収集に加え、本編に似たカットシーンが幾つか用意されている。
- The Betrayal of Jimmy(ジミーの背信):本編とは別の時系列にある1950年代のエンパイアベイが舞台となるストーリーDLC。金で殺しから取り立てまで、なんでもやる“清掃業者”として友人タム・ブロディとサル・グラヴィナ率いるグラヴィナファミリーの厄介毎を請け負う。オープンなエンパイアベイの各所に用意された30種のアーケードライクな新ミッションがプレイ可能。リリース当初はPS3専用DLCだったが、その後Xbox 360とPC向けに価格改訂版や一部東欧地域の単体販売、ロシアのPCリテール版、“Director’s Cut”版を通じてその他プラットフォーム向けにもリリースされた。
- Jimmy’s Vendetta(ジミーの復讐):“ジミーの背信”において、ある裏切りにあい、懲役15年が科されたジミーの脱獄と復讐を描くストーリーDLC。“ジミーの背信”と同じくサンドボックスでアーケードライクな34種のミッションを導入。本編では侵入できなかった一部エリアも開放される。
- Greaser Pack(グリーサーパック):[車両] スミス34ホットロッドとシューベルトホットロッド、[衣装] バイカーの服とレーシングスーツを追加。
- Renegade Pack(反逆パック):[車両] ポトマックエリシウムとウォルターホットロッド、[衣装] スタジアムジャンパーと赤いジャケット。
- Vegas Pack(ベガスパック):[車両] チャペックXTとジェファソンフューチャー、[衣装] 伝統的なカウボーイスーツと襟長スーツ。
- War Hero Pack(戦場の英雄パック):[車両] ウォルターミリタリーとウォルターユーティリティ、[衣装] アメリカ軍礼服とアメリカ軍戦闘服。
- Made Man Pack(メイドマンパック):[車両] CossackとRoller GL300、[衣装] Made Manスーツ。
前述した通り、本作は初代“Mafia”のゲームプレイ要素を大幅に拡張する一方で、章立ての展開やリニアなストーリー/ミッション進行、カットシーンに強く依存したストーリーテリングをそのままに踏襲しており、やや問題のあったゲームプレイやメカニクスを見事なストーリーがカバーした初代と同じく、“Mafia II”もやはりストーリーがゲームを駆動させる作品の要となっています。
カットシーンに依存した強固なストーリーを前面に打ち出した本作の“足し算”的な本編の進化は、見事に作り込まれたエンパイアベイのオープンワールド環境を活かしたサンドボックス要素や探索、サイドミッション的なアクティビティを排したもので、章立ての展開がよりTVドラマ的に強調される構成だと言えますが、一方では同じオープンワールド作品として、前年に“Grand Theft Auto IV”が、同年5月には“Red Dead Redemption”がローンチを果たし高い評価を獲得しており、大きな欠点が見られない“Mafia II”の平均的なシューター/カバーシステムやサンドボックス要素の欠如、リプレイ性の低さは、いささか前時代的だとして評価が割れる要因の1つとなっていました。
ただし続編においても、現代的なアクティビティの不足を補って余りある魅力的なストーリーは健在で、作品規模の拡大やビジュアル技術の進化、ゲーム的リアリティの向上に十分マッチするようさらに磨き抜かれた、決してほかでは見られない非常に濃厚な経験を与えてくれます。
ところが“Mafia II”のストーリーテリングと物語的なアプローチはやや挑戦的すぎたか、ギャング映画の王道とサクセスストーリーを堂々と描き全面的に賛美された初代の物語から一転、一見していわゆるマフィア的な活動や出世、抗争が深く描かれない点や、ゲームプレイに報いない衝撃的なエンディング、昨今のリアルなゲーム世界で展開するストーリー重視のアクションアドベンチャー作品が抱える“主人公が大量殺人鬼にしか見えない”問題など、複雑な問題が絡み合ったことで、広く一般的に十分な理解を得ていない印象を受けます。
こういった表面的な問題は本作が抱える欠如か、それとも意図して綿密に設計されたものだったのか、ネタバレを抑えた上で、“Mafia II”のテーマとストーリーテリングがいかに野心的で困難なテーマを扱ったか、以下にその構造や前作との関係を紐解いてみます。
初代“Mafia”は、主人公トミーの視点を通じて、マフィアそのものの活動や成功、対立、裏切りといった文字通り組織犯罪の物語を主軸に、予め決められた結末を担保した状態である種の緊張感を維持させつつも、これをさらに上回るツイストをプレイヤーに突きつけることに成功した傑作でした。
一方で、来る最新作“マフィア III”は、伝統的なイタリアンマフィアを軸に描く作品ではなく、果たすべき復讐の相手としてこれを捉え、マフィアに対抗しうる新たなファミリーの構築をテーマとすることで、逆説的に“マフィア”を描く作品として注目を集めています。また、アプローチは少々異なるものの、本編の物語を回想として振りかえる、“決められた結末”に向かって進む構造は初代を踏襲していると言えるでしょう。
改めて“Mafia II”の構造をふりかえると、本作はちょうど初代と最新作の中間的な作品で、主人公ヴィトと幼なじみであるジョーは、一介のストリートギャングから夢見たマフィアのメイドマンとなるものの、初代のようにファミリーの中枢や重要な運営に関わることはなく、いくらでも替えの効く鉄砲玉のような、傍流で大きな力に翻弄されるだけの“若者”として描かれています。
■ 大局は見えない
“Mafia II”の舞台となるエンパイアベイでは、政治や警察と強いパイプを持ち、名誉や伝統を重んじる伝統的なヴィンチ・ファミリーを筆頭に、麻薬も扱う2番手のクレメンテ・ファミリー、最も若く強い野心をもった急進的な組織としてヴィトとジョーが参加するファルコーネ・ファミリーが、一定の緊張とバランスを保った状態で虎視眈々とライバルを出し抜く機会を窺っています。
“Mafia II”は、初代や来る最新作とは異なり、最終的に生じる出来事や未来は予め示されず、幼少時とシチリア島の侵攻作戦に参加した兵役の僅かな回想を除けば、ストーリーは時系列順に進行し、大きな流れに組み込まれるヴィトとジョーの運命は全く予想できません。
加えて、本作のストーリーは徹底してヴィト個人の視点から描かれるため、事件や裏切り、死の真相、ファミリー間の取り交わし、近しい人間の考え、他者の発言や伝達の真偽、有力者による手回しや手打ちに至るまで、あらゆる出来事の真実や裏側、その企みや目的といった背景は闇に包まれたままで、説明的に提示されることはありません。
貧困と父の呪縛から抜け出すために、アメリカという国や大きな力を持つファミリーの末端で抗うヴィトの人生と運命を描くには、眼前に広がる世界で何が起こっているのか分からない、そのことをプレイヤーに追体験させる必要があり、物語の大局を掴ませないことが真に迫るリアリティを生む要因の1つとして機能しています。
出来事の真相や事実、登場人物の真意を描かないことは、プレイヤーをビデオゲーム的に報いる手法とは言いがたいものの、“極度に没入感の高い映画的な体験”を追求するためには、時系列順に進むストーリー構成と併せて、避けては通れないアプローチであり、このことがある種のリスクを抱えながらも“Mafia II”を非常に特殊な作品たらしめる強固な柱となっているのです。
■ 誰がために
リアルなビジュアルやキャラクター表現、映画的演出とグラフィックス技術の進化によって、リアリティを増した都市空間において、状況に翻弄されるまま刹那的な犯罪に身を任せるヴィトは、本作のゲームプレイに“主人公が大量殺人鬼にしか見えない”、近年のアクションアドベンチャー作品に顕著な問題を意図して顕在化させています。一貫したスタンスと意思でファミリーのヒエラルキーを上り詰めた前作の主人公トミー(や復讐の鬼と化す最新作の主人公リンカーン)と大きく異なり、主体や実存の薄いヴィトの空虚な人物像は、前述した大局が示されない点と相まって、本作の評価を困難にさせる要因の1つとなっていました。
失意の中で死んだ父を憎み、とにかく父親と同じ道を歩まないことを強く願う若いヴィトは、父権的な存在に抗うカウンターそのものでもあり、今とは違う何か、ここではないどこかを求めるヴィトの欲望は必然として主体性や確固とした目的を持たず、一見して刹那的、対処的に殺しを繰り返しているように見えかねません。
本作におけるこの問題は、後述する作品の重要なテーマでもある“アメリカンドリーム”と“アメリカン・ニューシネマ”にも深く関わる非常に重要な鍵の1つであり、空虚な存在であるヴィトが他者に自身を売り込む数少ない発露は、まさに“殺し”や自暴自棄にも見えかねない“度胸”として提示されます。
多くの類型的な主人公が抱えるこの問題に対して、ヴィトは実のところ非常に意識的かつ自覚的な珍しい人物であり、あるシーンでは次のような台詞で数少ない心境を吐露しています。
「俺は殺すことしかしてこなかった。国のために殺し、ファミリーのために殺し、邪魔する奴は誰だろうと殺してきた」
Mafiaシリーズは、一貫して“組織犯罪”の経験を扱い、伝統や血の掟、ファミリーのヒエラルキーによって駆動する希有なフランチャイズですが、特に“Mafia II”と来る“マフィア III”においては、このテーマが舞台となるアメリカの時代とヒエラルキーそのものを映し出す縮図となっていることが、より強い意味合いを持っています。
作品全体に暗い影を落とす“Mafia II”の物語を紐解く鍵は、ヴィトが志したアメリカンドリームと、古き良きギャング映画を体現した前作と対を成すアメリカン・ニューシネマもしくはフィルムノワール的アプローチにあると言えます。
ムッソリーニが実権を握った故郷シチリアを離れ、新天地アメリカでの成功を夢みながらも、その後貧困と失意のなかで死んだ父に対するヴィトの複雑な心情、“父のようにはならない”という強い思いは、彼を突き動かす最も根源的な力であると同時に、呪いのような枷でもあります。
世界恐慌のあおりを受けた禁酒法時代のシカゴをモデルとした前作に対して、“Mafia II”の舞台となる1940年代中盤から50年代初頭のアメリカは、幅広い層に向けたラインアップと車両の大型化で台頭したゼネラル・モーターズが“強いアメリカ”を象徴する世界最大の企業となり、フォードの製造手法にならった建築家ウィリアム・レヴィットが一戸建ての大量生産を実現し、中産階級向けの郊外生活をまさに実現しつつあった、新しいアメリカンドリームの時代でした。
さらに言えば、この時代は、圧倒的な成長と郊外化が都市部の荒廃と空洞化を生み、ラジオに取って代わったテレビの普及に伴う現代的メディアの誕生が政治をエンターテインメント化させ、アメリカの矛盾と暗部を暴き出してしまう前夜。後にレーガン大統領が(宇宙開発競争に敗れ冷戦を生むスプートニク・ショック以前の)再生すべき“強いアメリカ”として掲げるような、ある種のノスタルジーとして語られる華やかな、しかしどこか書き割りのような虚栄の時代でもあったと言えます。
余談ながら、舞台となるエンパイアベイには、実際に同じ造りの一戸建てが並ぶ郊外の住宅地が存在し、都市部には集合住宅が建ち並ぶだけでなく、都市機能の中枢に近い一部地域はスラム化しています。ちなみに様々な映画や現実の大都市、GTAのような犯罪系のビデオゲーム作品において顕著な都市の中枢にほど近いダウンタウンのスラム化は、黒人や人種的マイノリティを徹底的に排除した当時の郊外生活による白人中産階級層の移住(※ 郊外生活を生んだ当のウィリアム・レヴィットはユダヤ系の移民だったが)、スーパーマーケットの発明によって生じる経済活動のさらなる空洞化に起因することが知られています。
■ アメリカンドリームの呪い
“Mafia II”の主人公であるヴィトは、まさにアメリカンドリームを体現する人物であり、メイドマンとなった成功は、文字通り郊外の庭付き一戸建てと華やかな高級車によって示され、これを失うことでその凋落がはじまります。
ただし、ヴィトが体現するアメリカンドリームは、当時のあらゆる価値観を一変させ、来る50年代に向けて新しいスタンダードを生む豊かな成長ではなく、これに翻弄される中産階級や移民を覆う呪いにも似た影と暗部であり、これと呼応するようにヴィトの人物像は、どこか憎めない人間的魅力とバイタリティを備えた相棒ジョーや、野心と機知に富む前作の主人公トミーとは対称的に、主体的な目的を持たない一見して空虚で、行き場のない欲望に支配された人間として描かれました。
伝統を重んじる父権的なファミリーと急進的な組織の対立に翻弄され、これに抗えないヴィトは、成功に対する障碍を排した華やかなアメリカンドリームに駆り立てられる下位中産階級そのものだと言えますが、ときに諦念すら感じさせる彼のうつろさと無軌道ぶりは、もう1つの鍵として前述した(前作と対を成す)アメリカン・ニューシネマやフィルムノワール的なアプローチに深く関係しています。
前回の特集において、初代“Mafia: The City of Lost Heaven”はコッポラの“ゴッドファーザー”やスコセッシの“グッドフェローズ”(※ 特に主人公トミーは、映画でレイ・リオッタ演じる実在の人物で著名なワイズガイでもあるヘンリー・ヒルがモデルと思われ、ある行動やタクシー絡みの仕事をしていた出自まで似ている)に影響を受けた、ある種のロマンを感じさせるギャング映画の王道を堂々と描いた作品だとご紹介しましたが、大きな流れに翻弄されるヴィトを描く“Mafia II”は、まるで初代に対するカウンターのように、様々な要素がことごとく正反対のアプローチで描かれています。
アメリカのスタンダードな価値観が形成される50年代前夜、大きな変化の胎動が聞こえはじめた時代を反映し、反体制的な主人公による父権的な支配に抗う無軌道な戦い、そしてこれを翻弄する不条理かつ大きな力を描く“Mafia II”は、世に数あるビデオゲームの犯罪系ジャンルにおいて、唯一“アメリカン・ニューシネマ”を正面から描ききった、ビデオゲーム史上他に類を見ない唯一無二の作品だと言えます。
“俺たちに明日はない”や“ワイルドバンチ”、“イージー・ライダー”、“卒業”、“真夜中のカーボーイ”といった作品に代表されるアメリカン・ニューシネマは、50年代のアメリカンドリームが作り上げた理想的な家庭像やライフスタイル、これを体言するようにプラスティックな繁栄を描く老いたハリウッドメジャーに対して、スタンダードからこぼれおちた若者達が、鬱積した差別や貧困の不満を爆発させ形成したカウンターカルチャーを象徴する存在でした。
アメリカン・ニューシネマは、既存の価値観に異議を唱え、あらゆる父権的システムに強く“NO”を突きつける文字通りのカウンター、つまり相対的な反抗であることから、山積する社会やアイデンティティーの問題を主体的に解決する手段や理念は持ちあわせておらず、個々の作品、ひいてはジャンル全体が予め約束された敗北へと向かう破滅的なムーブメントだったことが知られています。(実際のところ、アメリカン・ニューシネマはアメリカンドリームを力強く再燃させた“ロッキー”の登場によって決定的な終演を迎える)
こういった背景からも分かる通り、一部で評価を分ける要因となったヴィトの敗北や無軌道な行動は、当時の若者に芽生えつつあった強い挫折感をはっきりと描くためにも避けられない表現だったことは明白です。
また、“Mafia II”のヴィトとジョー、そしてエディーの関係にはブロマンス的な側面もあり、作中に何度かはさまれる多幸感に満ちたカットシーンから始まる転落と作品全体を覆う暗い影は、エディーのファム・ファタール的役割を含め、フィルム・ノワールの影響が感じられます。
フィルム・ノワール的要素を前面に打ち出すビデオゲーム作品は、インディーを含め幾つか散見されますが、代表的な大作として知られる“L.A. Noire”はいびつな正義と戦争の狂気を扱い、“Max Payne”が喪失や復讐、老いを描いた一方で、“Mafia II”のフィルム・ノワール的要素は行き場のないヴィトの欲望によって駆動しています。
一般的に見て、プレイヤーにプロットや選択、進行のコントロールを委ねるほど、或いはサンドボックス要素やオープンワールド作品に顕著なアクティビティを強化するほどに、アメリカン・ニューシネマやフィルム・ノワール的な訴求力は損なわれますが、これを優先した場合、プレイヤーの行動や選択をビデオゲーム的に報いることはかえって困難となります。昨今、こういった相反を新しい手法で軽減するタイトルが僅かに見受けられるものの、“Mafia II”がオープンワールド作品でありながら、アクティビティやリプレイ性を極端に排し臨んだストーリーテリングは、2010年の過渡期にぎりぎりで成立しえた挑戦そのものであり、大きなリスクを背負い紡いだ物語とヴィトの運命は、未だ心のどこかにトゲを残す忘れがたい出来事でした。
今のところ、シリーズ最新作“マフィア III”がどういったテーマやアプローチで描かれる作品か、その本質は未だベールに包まれたままですが、大きな流れに翻弄され続けたヴィトが、17年もの時を経た1968年のアメリカ南部でどんな実存的決断を下し、そのつけを払うのか、この1点においても“マフィア III”が必見の作品であることは間違いないと言えます。
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かたこり( Twitter ):洋ゲー大好きなおっさん。最新FPSから古典RPGまでそつなくこなします。
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