先日遂にリリースを迎えた「Mass Effect 3」、大手メディアによる前作に迫る高い評価とは裏腹に、問題のあるDLC展開を始め、前作のDLCやマルチメディア展開が絡む重大な出来事への説明不足、そして変更を求める署名運動まで巻き起こる騒動となっているエンディングの問題など、Mass Effect 3を巡る騒動は日々その勢いを増す状況となっています。
そんな中、Shockシリーズの開発で知られるKen Levine氏がスミソニアン博物館で行われたパネルに登壇し、激化しているMass Effect 3のエンディング変更を求める騒動について触れ、この問題が重要かつ悲しい事態だと語りました。
Ken Levine氏はエンディングの変更を求める署名運動が実を結び、BioWareが彼らの望むエンディングを新たに用意したとしても、BioWareがそもそもそれを作らなかったという事実には変わりなく、結局のところファン達は失望させられる結果に終わるだろうとの見解を提示。誰も望んだ物を得られない結果に終わる今回の騒動を少し悲しく感じると語っています。
Ken Levine氏が説明しているのは、エンディングの良し悪しではなく、ファンの要求に従って用意される“物語”の変更によって姿を変えた“Mass Effect 3”は果たして“Mass Effect 3”なのか?という、表現における根本的な問題に迫る言及だと言えます。
また、この問題は同時に近年しばしば議論に挙げられる“ビデオゲームはアートか?”という命題にも深く抵触する問題であり、パネルに同席したBioWare MythicのPaul Barnett氏は“物語がどう結実するかは常にクリエイターが最終的に語るべきもの”だと発言し、J・K・ローリングの人気小説ハリー・ポッターシリーズを例に挙げ、「私は彼女が別の終わりを新たに作ることを強いられるべきだとは考えない」と語りました。
前述したエンディングの変更を求めるファン達の誓願運動は、彼ら自身の思いがネガティブな物でないという主張の下でチャリティ活動が並行して進められており(※ 募金と運動のポジティブさの関連については一先ず置いておきます)、既に78000ドル(約650万円)に迫る募金を集めており、BioWareもこれに対する見解を示すなど、騒動は激化しつつ確かな変化を見せつつある状況となっています。
ファン達が展開する運動の是非と、現在のBioWareが抱える問題はそもそも“同じ軸”で語るべき問題なのか、Mass Effect 3が素晴らしいクオリティの作品である事と同時に、もはや擁護のしようも無い劣悪な一部の要素を同居させていることも事実ですが、BioWareとEAが描いた青写真が雑だったという単純な事実から誕生したMass Effect 3を、ほつれのある愛すべき作品と取るか、傷の上からパッチワークのように見栄えの良い何かを覆い被せて“ベター”とするか、今回の問題の着地はビデオゲーム文化と歴史における1つ重要な出来事になるのかもしれません。
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