先日、遂に待望の日本語版発売を迎え、連休に併せて既にプレイされている方も大勢いらっしゃるであろう人気シリーズ最新作「バイオショック インフィニット」、1900年代初頭のアメリカをベースに構築された架空のゲーム世界と、挑戦的とさえ言える近年類を見ない難解な、しかし胸を打つエモーショナルな物語に圧倒されている方も多いのではないでしょうか。
“気狂いピエロ”や“ヌーヴェルヴァーグ”、“ゴダールの決別”といったしばしば難解とされる作品で知られる映画監督ジャン=リュック・ゴダールがかつて「映画に必要なものとは、一丁の銃と一人の女の子、それがすべてだ。」と語ったように、“バイオショック インフィニット”もやはりブッカーというタフガイが銃を手に、囚われの少女エリザベスを救い出すという中心を貫くポップなコアを持つと同時に、アメリカの歴史や宗教的な背景、様々なイデオロギーの対立、テクノロジーの台頭など、ありとあらゆる文化的なモチーフが散りばめられた重厚な世界観を内包しています。
これまで、2回に渡ってシリーズの流れや作品間の関係性、本作の革新的な特徴についてご紹介してきたバイオショック インフィニットの特集記事ですが、今回はこのモンスター級の作品を紐解くにあたって、作品の特種な構成そのものをある程度整理した上で、本作のベースとなっているアメリカの歴史や政治的背景、哲学など、我々日本で暮らすゲーマーにはやや馴染みの薄い幾つかのトピックをまとめてご紹介します。(※ ネタバレや中盤以降のストーリー展開に絡む情報は掲載していません)
海底都市ラプチャーを舞台にした初代“バイオショック”は、FPSゲームとして主人公ジャックの運命的な物語を主観的に描くと同時に、音声ログや都市そのものを通じて表層的に描かれるラプチャー或いはアンドリュー・ライアンの背景と顛末が、アメリカとソ連の冷戦構造を背景に先鋭化したアイン・ランド的なリバタリアニズムにおける理想郷とイデオロギーの崩壊を俯瞰的に描いた作品として、ビデオゲーム史に残る金字塔となりました。
これまでの特集でもご紹介した通り、“バイオショック インフィニット”は前作の直接的な続編ではないことから、ブッカーとエリザベスの物語をプレイヤー視点で楽しむことについて必要とされる予備知識はやや語弊があるものの“ほぼ”存在しません。
しかし、かつて初代バイオショックがそうだったように、ブッカーとエリザベスの物語を軸に進行する主観的な物語の背景には、南北戦争を経てようやく始まった国民国家の形成から第一次世界大戦に至る、1890年から1900年代初頭のアメリカを襲った巨大な変化の波そのものが至る所に影を落とし、コロンビアを通じて描かれる俯瞰的なもうひとつの大きな物語が存在していると言えます。
主人公の視点で描かれる物語と、背景に内包される大きな物語が別のレイヤーとして存在し、それぞれ独立した上でシナジーを発揮するに至る作品は(GTAやTES、Falloutなど)非常に少なく、逆に作品の背景となるLore自体がキャラクター情報の捕捉として機能するケースなど、プレイに必要な予備知識化する場合もまま見られます。
インフィニットを含むバイオショックの場合は、これが互いを阻害しない形で機能しており、ゲームプレイを様々な視点から楽しめる上、ストーリーの構造そのものがリプレイ性や他分野への拡がりを持つ作品として高い評価を獲得しました。
これは、ラプチャーやコロンビアそのものが重要なキャラクターの1人だと断言するIrrational Games特有の手法によるもので、予めゲームの舞台となる世界の容れ物に、政治や宗教、科学、歴史など考え得る限りの要素を詰め込み、過剰な構築を行った上で、その中にキャラクタードリブンな物語を放り込むといったプロセスがインタビューや大規模イベントのパネルで示されていました。
■ Ken Levine氏が語ったシリーズの定義
“バイオショック”とは、驚くような場所を舞台に、歴史と関係深いIrrational Gamesのアイデアに基づいた全体像を通じて描かれるストーリーを伴うFPSタイトルだ。
また、Ken Levine氏は舞台となるゲーム世界の入れ物を“スキナー箱”(Skinner Box:アメリカの心理学者バラス・スキナーが開発した動物の行動研究に用いられる実験装置)と呼んでおり、多様なイデオロギーや哲学、宗教、歴史観をここに詰め込む際に、利己的な目的を投影しない事や、小さなソーシャルラボを結成することなど、ゲームの舞台そのものがIrrationalによる“ある種”の思考実験の場であることを明らかにしています。
“バイオショック インフィニット”では、ここに前段で挙げたゴダールの言葉「必要なものは、一丁の銃と一人の女の子、それがすべて」にも通じるキャラクターが、あたかもスキナー箱や迷路実験の中で懸命に事態の打開を図る小さなマウスのように投じられることで、何も見えない大局にもがき苦悩する主人公達による主観的な物語(※ ゆえに、怒濤の展開に適切な意味で“良く判らなかったけど凄かった!”というプレイ体験が成立する)のレイヤーと、俯瞰を紐解く事で見えてくる大局に纏わる物語を楽しむ二重(多重)構造が独立して成立しているのです。
かつて、アンドリュー・ライアンとラプチャーがアメリカの精神を表したのと同様に、“バイオショック インフィニット”の舞台となる美しい都市もまた、アメリカに根強く存在する精神性を体現しています。
しかし、リベラルな理想郷の凋落を暗く描いたラプチャーに対し、本作の舞台となる空中都市コロンビアは、1882年にエジソンが最初の発電所を作り、1893年には交流電流を生んだニコラ・テスラがシカゴ万国博覧会で数十万個の電灯を灯すなど、一般家庭への電気供給が進んだ20年程度の間に怒濤の如く押し寄せた巨大な技術革新(自動車や飛行機、ラジオ、蓄音機などが登場した)と、第二次産業の台頭と移行を含む世紀の変わり目に蔓延する楽観主義、そして、他のヨーロッパ列強に比べ、強く特別な存在だという優越性を示すアメリカ例外主義を色濃く反映した存在として、輝かしい真夏の太陽に包まれた古き良きアメリカを描いています。
※ 都市の名称として用いられているコロンビアは、アメリカ合衆国を擬人化した架空のキャラクターとして著名なアンクル・サム以前に描かれていたアメリカを象徴する女性像で、ゲーム内でも神の子羊であるエリザベスが暮らす巨大な女神像としてその姿を確認することができる。
本作のモチーフとしてしばしば引き合いに出されるアメリカ例外主義ですが、実際に本作で用いられているのは、今回1枚目に用いたイメージに顕著な民族浄化や奴隷制を正当化する1800年代後期の例外主義であり、アメリカン・ドリームに代表される流動性の高い移民の多用さや、リンカーンが有名な“人民の、人民による、人民のための政治”を掲げたゲティスバーグ演説における“自由”など、一般に例外主義に含まれる一部の要素はコロンビアでは影を潜めています。
実際、コロンビアの支配勢力として登場するカムストック率いるファウンダーズは、建国の父であるジョージ・ワシントンとトーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリンを神格化させ、白人種の優位性を掲げる超国家主義/極右/排他/原理主義的な宗教組織として描かれており、黒人女性として描かれるデイジー・フィッツロイが設立した労働者階級からなる無政府主義的な反乱勢力ヴォックス・ポピュライ(Vox Populi:ラテン語で“民の声”の意)と激しい対立を見せています。
また、本作のライターを務めたDrew Holmes氏は、バイオショックのコアが“厳格なイデオロギーが極化し生まれる意図しない結果”に関係していると述べており、今作も初代バイオショックと同じく、極度に先鋭化した異なるイデオロギーの対立が存在しており、都市が過剰に明るく豊潤に描かれるのと同時に、そこには真っ黒い闇や対比が描かれています。
こういった2極化した対比や陰陽は、移動する世界博覧会の巨大な会場として誕生した都市コロンビアそのものにも描かれており、アメリカの民主主義が持つ力と平和、外交力を示すシンボルとして、技術の粋を集めて作られた都市が、1900年当時のアポロ計画とも呼べる華やかな存在であると同時に、デス・スターに例えられる強大な武装を持つ戦艦でもあることは、1907年にルーズベルト大統領が発表した大西洋艦隊による世界一周航海“グレート・ホワイト・フリート”と多く重なっていることがKen Levine氏の口から語られています。
これまでにも何度か紹介した通り、かつて米軍の第7騎兵連隊に所属していたブッカーは、1890年12月28日、サウスダコタ州で発生した“ウンデット・ニーの虐殺”に関与していたことが知られています。
300人に及ぶスー族のインディアンたちをジェームス・フォーサイス大佐の下で一方的に虐殺した“ウンデット・ニーの虐殺”は、アメリカ側にとってみれば前述した“アメリカ例外主義”における白人種の優位性や拡大政策を正当化した覇権主義の前触れでもあり、ネタバレを避けるため詳細は控えますが、コロンビアの目も眩むような理想を支える大きな暗部の1つだと言えます。
アメリカの白人種に与えられた(と当時の国家主義者達が掲げる)“明白な使命”の下で進められた奴隷制度や人種差別、民族浄化という名の虐殺の上に浮かぶ理想郷コロンビアと、虐殺事件を経て酒と借金にまみれたブッカーの対比もまた本作の興味深いポイントと言えるのではないでしょうか。
余談ながら、執拗にアメリカの明暗が描き込まれた本作には、アメリカ以外のモチーフも登場しており、逆にその存在感を際だたせている幾つかの要素が存在します。これまでに公開されたトレーラーにも何度か見られた“パリ”や、英語版では冒頭から強いイギリス訛りで登場する2人のワケありげなカップル(※ 米国のボイスアクターJennifer Hale氏とOliver Vaquer氏が見事に演じている)といった存在は、極限まで純度が高められたアメリカ成分に放り込まれた異物として見事に機能しており、日本語版における絶妙な言い回しもこの辺りに由来すると考えると、また新しい側面が見えてくるのではないでしょうか。
長々と本作の構造や背景にスポットをあてた今回の特集ですが、1つ本作のプロットに強い影響を与えた小説「悪魔と博覧会」をご紹介して記事をしめたいと思います。
アメリカ人小説家エリック ラーソンが執筆し2003年に発売された“悪魔と博覧会”は、今回の記事にも登場した1893年の万国博覧会開催を控えるシカゴを舞台に、米国史上最悪の殺人鬼とされるハーマン・H・ホームズと、シカゴ万博の建設工事を率いる建築家ダニエル・バーナム(共に実在の人物)の2人を主人公に、アメリカの栄華と闇を描く作品で、本作の対比や大量殺人(※ ビデオゲームの主人公もいわゆる大量殺人者である)にまつわるプロットはKen Levine氏に様々なインスパイアを与えたことで知られています。
一時ディカプリオが殺人鬼ホームズを演じ映画化されるとも報じられた“悪魔と博覧会”(※ 残念ながら邦訳は入手性に難あり)ですが、今後映画化実現の可能性も踏まえ、機会があればチェックしてみてはいかがでしょうか。
南北戦争終了後から1900年代初頭におけるアメリカの闇と栄華を多様な側面から描く本作ですが、前述した歴史が生活のベースとして根付いているアメリカでは、前述した思考実験の容れ物である舞台と、保守と新旧リベラルの対立、人種問題を含む宗教的なトピックが、2009年からアメリカで台頭する“ティーパーティー運動”や、2011年の9月に起こった“Occupyムーブメント”(ウォール街近くの公園占拠に始まった経済界/政界に対するデモ運動)、現代における人種差別の問題、私達がまさに今体験している著しいスピードの情報技術進化など、意図せず時代性や個人の思想を映してしまう奇妙な合わせ鏡、或いはロールシャッハテスト的な側面が強調されるケースが目立っています。
Irrational Gamesが利己的な目的を投影していないと言い切る壮大な作品をプレイし、物語全体を通じて何を見たか、自分自身の感想や主観をプレイ後に距離を置いて俯瞰してみるのも本作でしか味わえない楽しみの1つだと言えそうです。
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