先月から、People Can Fly(現Epic Games Poland)時代にTHQがキャンセルした“Come Midnight”のディテールや“The Vanishing of Ethan Carter”の動向など、かつてPeople Can Flyを設立し、現在はPCFの中心的な開発者3人で設立した新スタジオ“The Astronauts”で期待作“The Vanishing of Ethan Carter”の開発を進めているベテランAdrian Chmielarz氏のインタビューを意欲的に行っているEurogamerですが、昨晩新たなインタビューとして、Adrian Chmielarz氏がPCF誕生以前に学生時代の友人と共に設立したスタジオ“Metropolis”が90年代中期に開発を進めていた「The Witcher」タイトルの存在と概要、その貴重なイメージが公開され話題となっています。
今回存在が明らかになった“The Witcher”作品は、CD Projekt Redが誕生する6年前、1996年から97年に掛けて前述したポーランドの“Metropolis”が開発を進めていたもので、SF Conなどを通じてシリーズを生んだ原作者Andrzej Sapkowski氏と面識のあったAdrian Chmielarz氏がSapkowski氏に手紙を書き、ビデオゲーム化の許可を得て開発を進めていたものの、最終的に完成には至らなかったとのこと。
Adrian Chmielarz氏によると、このMetropolis版“The Witcher”は、モラルチョイスや大人向けのストーリー、複雑な性格や心理のキャラクターを特色とする3Dアクションアドベンチャーゲームで、経験値の取得を含む若干のRPG要素を併せ持っていたことが判明していますが、1年近い頓挫を経て、プレイアブルな第1章のプロトタイプ開発が実際に終了したものの、当時手掛けていたRPG“Gorky 17”の開発に注力するなかでその存在が次第に忘れ去られてしまった経緯が明かされています。
Chmielarz氏がPCFを起ちあげる2002年頃には、丁度CD Projektも“The Witcher”の権利獲得に動き始めており、当時MetropolisではCD Projektに“The Witcher”の権利を高く売りつけようといった冗談も飛び交ったと振り返り、Metropolisが“The Witcher”を完成させなかったことはさして問題ではないと語る一方で、CD Projektが作品のライセンスを取得し、優れた作品をリリースし利益を生んだことは非常に重要なことだとCDPRの功績を称えました。(※ 氏はビデオゲーム史において最も思い出深いのパートの1つとして“The Witcher 2”のAct 2を挙げている)
なお、今回その存在が明るみにでたMetropolis版“The Witcher”は、当時の開発データを記録したCDが既に回復出来ないほど痛んでおり、現在はそのデータも残っておらず、Chmielarz氏はさしたるドラマもなく単に死んでしまったと説明しています。
余談ながら、CD Projektはその後ご存じの通り“The Witcher”のライセンスを取得し大きな成功を収め、2002年にPCFを設立するためにAdrian Chmielarz氏が去った“Metropolis”スタジオはその後もGorkyのシリーズタイトルやEidosがリリースしたTPS“Infernal”をリリースしたものの、2008年2月には件のCD Projektによって買収され、最終的に“The Witcher”作品の開発に関与するという数奇な運命を辿りました。
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