先日開催されたD.I.C.E. Summitの基調講演に、華やかな成功や受賞が続くBethesdaの人気RPGシリーズ最新作「The Elder Scrolls V: Skyrim」の開発を率いたディレクターとしてお馴染みTodd Howard氏が登壇し、“Why We Create, Why We Play”(何故私たちは創るのか、何故私たちはプレイするのか)と題した、ビデオゲーム開発とその文化における大きな示唆と笑いに満ちた講演を行いました。
今回はこの講演の模様を収録した映像と共に、ビデオゲーム開発者だけでなくゲームプレイヤーにとっても非常に興味深いBethesdaの哲学や、ゲームがユーザーに働き掛けることが可能な特有のエモーションなどについて語られた講演の概要をまとめてご紹介します。
上の映像が42分に渡る基調講演の全てを収録したものです。今回の講演で「私はクリエイターとしてゲームを、アートとテクノロジーの究極の組み合わせだと考えている」と語ったTodd Howard氏は、今から3年前に登壇したD.I.C.E. Summitパネルにて発表した3つの開発ルール、
- “Define the Experience”(経験の定義)
- “keep it Simple”(シンプルであること)
- “Great games are Played, not Made.”(偉大なゲームは作ることではなく、プレイすることで生まれる)
に準じた“The Elder Scrolls V: Skyrim”の開発プロセスや、Bethesdaの開発姿勢について語っており、SkyrimがこれまでTESシリーズが長い期間を掛けて築き挙げてきた膨大な資産(巨人の肩)の上に立つタイトルであるだけでなく、開発文化の継承とブラッシュアップが継続的に進められている様子がはっきりと感じられる内容となっています。
講演の中で、Bethesdaでのゲーム開発にマニュアルが存在しない事を明かしたHoward氏は、開発チームに近年の過酷なハードル競争や、次々と発生する問題へと立ち向かう独自のアプローチがあると語り、「あなたが持っているプランは、あなた達が持っている“文化”ほど重要ではない」と発言。
Bethesdaには数多のスタジオの様にドキュメントへの過剰な信頼が無いと述べ、「問題はチームが持つ“文化”によって解決され、あなたの考えはあなた達の“実行”ほど重要ではない」との見解を示しました。
さらに氏は「ゲームを特徴の数々を記したリストによって作品を定義すべきではない」と発言、ゲーマーに抱いて欲しい“経験”によって定義するべきだと、The Elder Scrolls V: Skyrimを例に以下の様なコンセプトアートを提示しました。
さらにHoward氏は開発ルールの2つ目“シンプルであること”について、「私たちは何でもできる、しかし“すべて”を行うことはできない」と語りました。
特に、RPGタイトルはその特徴やアイデアを並べ上げることがあまりに簡単だと述べ、そういったアイデアをトスされた開発チームが壊れたSims達の協力関係の様な状況を生み出し、それらのポイントが結局実らずカットされるといったケースはしばしば発生すると説明。前述のドキュメントや過剰なアイデアへの傾倒が危険なプロセスであることを補足し、The Elder Scrolls V: Skyrimの開発においてBethesdaはゲームのコア経験にフォーカスしたと強調しました。
続けてHoward氏は、自明の理ながらも十分に訴求されないポイントとも思える“開発者は自分のゲームをプレイしなければならない”との見解を述べ、Bethesdaがゲーム開発において外部でのテストプレイを全く行わないと明かし、本質的に自分達の為にゲームを作る事を意識していると説明しています。
そして、The Elder Scrolls V: Skyrimの開発時には非常に早い段階でゲームがプレイ可能になる状況を目指したと述べ、以下の様な開発スケジュールの資料を提示し、早い段階で100人の開発者がゲームプレイを開始し、そこからのフィードバックを何度も得たと説明しました。氏は優れたゲームを開発するには、出来るだけ早い段階でプレイ可能な状態に持っていくことが最も望ましいと語っています。
さらに、Howard氏は一旦プレイ可能な状態になった以降の工程を“Opportunity Time”(可能性の期間)と呼んでいると述べ、開発チームがゲームに重要な変更を加え、ゲームが現状で持っているもっと上の“何か”を実現する機会にもなり、バカバカしい要素を減らし、そしてゲームの品質を磨き上げることが可能だと語っています。もちろんこの過程における計画がすべてうまく運ぶとは限らず、問題解決においては誤りがいつ発生したか、そして問題を認めることが重要だと説明しました。
また、氏はこれらの事例としてスキルツリーや魔法使い、戦士、盗賊を基本とするスキル画面のデザインプロセスを提示、シンプルであることを地でいく以下の様な資料を提示しています。
講演中、先日ご紹介したBethesdaスタッフが製作を手掛けたThe Elder Scrolls V: SkyrimのMOD企画“Game Jam”映像を上映したHoward氏は、続けてBethesdaが考える“プレイヤーがゲームと対話を進める方法”について語り始め、彼と開発チームが想定する4つのプレイヤーインタラクションにおけるステージ“学習”、“プレイ”、“チャレンジ”、“サプライズ”を挙げ、ここに連続的なループが生じると説明しました。
Howard氏は多くの場合このループにチャレンジとサプライズへの過剰なフォーカスや、学習とプレイが苦痛に終わってしまうといった不均衡を抱えているケース、或いはチャレンジが省かれている場合などが存在すると述べ、こういったケースではいずれもプレイヤーが十分な手応えを感じられない、或いは余りに難しすぎることから“うんざり”してしまうと説明しています。
そんな状況に対し氏は「プレイヤーにループをコントロールさせてください。私たちはプレイヤーの功績を認め、彼らを信じています。」と発言、プレイヤーを自身に対する“ディレクター”にさせることが重要だと語りました。
そして、Bethesdaのゴールがプレイヤーのアクションを通じて、或いはキャラクター達のリアクションなどから“プレイヤー自身のストーリー”を伝えることだと語り、前述した4ステージのループをプレイヤーがいつでもコントロール可能で、現在発生している出来事への所有権を与える必要があることを説明しています。
これまでご紹介してきた内容を経て、Todd Howard氏は改めて今回のタイトル“何故私たちは創るのか、何故私たちはプレイするのか”の問いに立ち返り、ビデオゲームには、映画や音楽、アートなど、ほとんどのエンターテインメントとメディアが与えられない“情動”を伝える能力があると発言、「それは“誇り”だ」と答えました。
Howard氏は達成感がゲームに特有の要素であると語り、ゲーム開発者はさらにその自尊心に対して影響を及ぼすことが出来ると発言。「あなたは“誇り”の為にデザインすることが出来る。人々がゲームの中で何かを遂行した場合にどう感じるか、これは他の娯楽には与えられない」と語った氏は、上掲した10年前の写真を例に、この達成感がまるで本当にフットボールで優勝した様だったと振り返っています。
そして、判りやすいデザイン例として“Peggle”のクリア時に登場する花火や虹、音楽による演出、Call of Dutyのマルチプレイヤーにおけるレベルアップサウンドなどを挙げ、これらがプレイヤーに対し巨大な達成感を与え、プレイヤーの誇らしい気持ちを喚起させるようデザインされていると説明しました。
さらに氏はゲーム開発に携わる人々がこういった自尊心を胸の内により強く保つべきだと語り、昨年ビデオゲーム業界を震撼させたカリフォルニア州の暴力ゲーム規制法案“AB 1179”の是非を争った“Brown v. EMA”裁判における勝利を挙げ、ビデオゲームが他の芸術品と同様に米国憲法修正第1条に保証される“言論の自由”の為の資格を得たことを改めて強調し、「ビデオゲーム開発は誇れる仕事だ」と発言しています。
そして現在の状況に、開発者達はこういったゲームを生み出す大きな機会を与えられたと説明し、プラットフォームが多用化する今“成功はもはやどこにでも存在している”と発言。現代のビデオゲーム産業は“ゲーミングの黄金時代”に突入したと断言しました。
Todd Howard氏は会場に集まった多くの開発者達に向けこう語っています。「素晴らしいことをすべきです。“あなた自身”が誇り高くいてください。」「そして、プレイヤーがゲームをプレイし、彼らがそれを手にしたことを誇らしく思えるようにしてください。」
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