前回12月末にお届けした「Call of Duty: Black Ops」暗号解読番外編1回目からすっかり時間が経ってしまい大変申し訳ありません。途中まで書き進めていたものの、東北地方太平洋沖地震の発生など、日々のあれこれに追われる内に、早4ヶ月以上が経ってしまいました……。
現在進めている番外編では、Black Ops本編の暗号や謎から一端距離を置き、TreyarchがBlack Opsローンチ前に海外メディアに向けて送付した32枚の古い資料の解読を進めています。(※ これら資料の一覧はFlickrから確認出来ます)
第1回目の番外編では、第二次世界大戦時において本来は敵国同士だったナチス・ドイツとアメリカに見られる奇妙な関係性が浮き彫りになり、アメリカからの巨額の投資により誕生したドイツの巨大トラスト”IG・ファルベン社”、SSを率いたハインリヒ・ヒムラー、IBM、アドルフ・ヒトラー、そしてBlack Ops本編にも登場するロバート・マクナマラ国防長官に関係する書類が登場しました。
という事で、今回は残る22枚の資料から、ドイツの巨大トラスト”IG・ファルベン社”と当時のドイツに関する書類にスポットを当て、残りの書類を読み進める暗号解読番外編の2回目をお届けします。
このドイツ語で記された2枚の書類は、いずれもハインリヒ・ヒムラーによって1942年に作成された物で、文中にはKurt Blome博士の名前が確認できます。書類にはBlome博士の研究を基に、結核患者と不治の病に冒された患者を、どこかの施設にまとめて収容する計画が記されており、プロパガンダ的な側面から計画を適切な方法で進める必要があると注意を促しています。
なお、この2枚の書類が作成されたのは、それぞれ1942年の2月と3月ですが、同年1月にはユダヤ人に対するガス室での大量殺戮へと繋がる”ユダヤ人問題の最終的解決”と呼ばれるナチス・ドイツによる計画の実行が決定されたヴァンゼー会議が開催されています。そして、この直後から悪名高いアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を始め、トレブリンカ、ベウゼツなどの主要な強制収容所にて大量虐殺が開始される事となります。
また、この同時期にはKurt Blome博士がポーゼンの大学に設立された癌研究所の所長に就任した時期と重なっており、サリンの人体実験や発がん物質の兵器利用など、細菌兵器の研究が急加速した時期でもあります。
なお、ここで改めて前回お知らせしたKurt Blome博士に関する情報を以下に引用します。Blome博士は今後の解読における重要人物の1人で、下記に見られる大戦終了後の進退を頭に置いて読み進めていただければ、解読の複雑でぼやけた全体のアウトラインがより明確なものとして認識できるかと思います。
Kurt Blome博士はナチスドイツのDeputy Reich HealthのリーダーとReich Research Councilにおける癌研究の全権代表を務めた科学者です。
Blome博士は医学と軍事の研究を進める傍ら、細菌兵器の研究も行っており、アウシュヴィッツ強制収容所にてサリンの人体実験を行っていた事や発がん物質の兵器利用の研究を進めていた事が知られています。
大戦終結後Blome博士は、1945年11月20日から1946年10月1日にかけてアメリカ・イギリス・ソ連・フランスが行った、ナチの指導者を裁く国際軍事裁判”ニュルンベルク裁判”において死刑を免れないと考えられていましたが、アメリカの介入によるとも噂される取引で釈放され、アメリカへの情報提供に合意、アメリカに移住したKurt Blome博士は1951年に後のMKウルトラ計画の前身であるペーパークリップ作戦に参加しました。
1945年1月14日の日付が入ったCIA所有の航空写真地図には、ポーランドのMonowice(オシフィエンチム)市に存在したIG・ファルベン社の化学工場が写真中央に収められ、地図右下部にはアウシュヴィッツ第三強制収容所モノビッツが確認できます。
また、第三強制収容所モノビッツと共に記されている“BUNA”は、IG・ファルベン社の合成ゴム・合成石油プラント“ブナ”を指しており、モノビッツに収容されたユダヤ人達は、前回ご紹介したIBMのパンチカードマシンと左腕に刻まれた身元確認番号を示す入れ墨で管理され、この工場で労働を強いられていた事が知られています。
非人道的な長時間労働を強いる中、ユダヤ人労働者達に対する医療行為は行われず、身体的に労働力を失ったと判断された収容者はIG・ファルベン社とSSによる計画的なガス室での薬殺対象とされ、前述した“ユダヤ人問題の最終的解決”が粛々と進められました。
この調査報告書らしき書類にはナチス・ドイツが原爆の研究を進めていたとの情報が記されています。研究はベルリンから北へ37km離れた森の中に隠された研究施設で、SSの技術アカデミーにより進められており、実験には複合企業であるIG・ファルベン社を構成する1つ”バイエル”がこれにあたったと記載されています。
なお、ここに記述が見られるバイエルとは、1863年に創業され、IG・ファルベン解体後の今もドイツに本社を置き、日本との関係も深い世界有数の巨大製薬企業バイエル(Bayer AG)を指しています。
可読性が低い資料ですが、文面にはニューヨークやカナダ、フィリピンなどの地名と共に、General Anilin & Film Corp.など、企業やコングロマリットの名前が確認出来ます。これらの企業名を幾つか調べてみるとその全てがIG・ファルベンと深い関わりがあった事が判明、判読出来なかった記述も含まれていますが、どうやら関係する海外企業をまとめたリストだと考えられ、第二次世界大戦下にも関わらずIG・ファルベンの影響が西側諸国にも広く及んでいた事が見受けられます。
文字がかなり視認し辛い状態ですが、おおまかに以下の様なリストとなっています。
■ カナダ
- “Consolidated Dyestuffs Corp., Ltd.” – モントリオールの繊維/染料企業
- “Agfa Ansco, Ltd.” – トロントのカメラメーカー
■ アメリカ
- “General Anilin & Film Corp” – ニューヨークに設立されたIG・ファルベンの子会社で、現在はアスファルトや建築資材を扱うGAF Materialsとして現存
- “Magnesium Development Corp.” – デラウェア州のウィルミントン
- “Jasco Incoorporated” – ニューヨーク、詳細不明
- “Flaskon Cc., Inc.” – オハイオ、詳細不明
- “American Magnesium Corp.” – オハイオ州クリーブランド、詳細不明
- “Chemnyco, Inc.” – ニューヨーク、詳細不明
- “General Dyestuffs Corp.” – ニューヨーク、詳細不明
■ オランダ領東インド
- “N. V. “I.M.P.L.A” Import M.V. Melscovreden” – 恐らく船舶の製造会社
- “Mapro-Maarschapry Tot Beverdering” – 詳細不明
- “N.V. Internationale Creit on Handelsvereinigung” – 詳細不明
- “Geo. Wehry & Co.”- 1860年設立の商社
- “Marmsen Vermey & Co., N.V.” – インドネシアのジャワ州都スマラン、詳細不明
- “N.V. Behn Meyer & Co.” – 1840年に2人のドイツ人が設立したジャカルタの商社で、現在はBehn Meyer Groupとして現存
■ フィリピン
- “Bayer Yakuhin Comel Kaisha” – マニラ、記述から日本のバイエル薬品(1935年に改称)の子会社と思われる
- “Menzi & Co., Inc.” – マニラ、詳細不明ながら現存する模様
- “Philippine-American Drug Co.” – マニラ、詳細不明ながら現存する模様
この書類には、ドイツWinthrop Chemical社のRaymond Foster会長に向けてIG・ファルベンから退職を祝うメッセージが記されており、同様の書類が有機化学産業をベースにした合成染料などの歴史的な資料を掲載したWebサイト”Colorants Industry History”にて確認できました。
このWinthrop Chemical社は、1901年に”Neuralgine”と呼ばれた鎮痛剤を販売する為に設立された企業で、ドイツの製薬会社Sterling Drug社とIG・ファルベンが共に設立した子会社です。
このSterling Drug社は、1930年に“書類13”で登場したバイエル社のアスピリンを世界的に販売する為にBayer AGを買収、このバイエル社のアスピリン販売の好調が、後にIG・ファルベンのアメリカ進出を可能にしたとの見解がColorants Industry Historyには記されていました。
サマリー(概要)の題が記されたこの書類に見られる幾つかの文言を検索すると、アメリカの古い公文書や論文、新聞、書評など、様々な資料を収めた”Liberty Park, USA”財団のホームページに資料全文が存在していました。
この文書は、アメリカ軍部が1945年11月にIG・ファルベンに関して行った調査報告書の一部で、1927年以降、12年に渡って急激な成長を遂げたIG・ファルベンが、500以上の子会社をヨーロッパ全土に展開させており、全体で10億ドルを超える経済規模を持つ巨大トラストであるとの調査結果が記されています。
書類の内容にはさほど目新しい事は発見出来ませんが、書類の下部に”Der echte Riese”との記載が見られます。どこかで見た事がある様なこの文言は、Treyarchの前作”Call of Duty: World at War”のマップパック第3弾に収録されたゾンビモードマップ”Der Riese”と似ていると感じられます……。
何やら複雑な数式が散見するこの2枚の書類はドイツ語で記述されており、その出自は不明。見るからに専門的な内容が記されている事と、ドイツ語である事から残念ながら詳細な内容は判りませんでした。しかし文書には“Xenon”の文言が見られる事と、124(0.094%)、126(0.088%)、128(1.91%)を含む9種類の数値が記されています。これらは原子番号54の元素”キセノン”と、天然で存在するキセノンの安定同位体を示しており、核開発に絡む文書である事が判ります。
また、文書下部には以下のような文言が記されていました。
■ 原文
Projekt Riese
Blome erhalt Zugang zum Nuklearprogramm
Hier findet er den Schlussel■ 日本語訳
プロジェクトリーズ
Blomeが巨大な計画”核開発計画”に着手
ここで彼は”鍵”を見つけます
ここにはKurt Blome博士の名前が明記されており、この書類がナチス・ドイツ下で進められていた核爆弾の製造計画に絡む文書であると考えられます。さらに先ほど登場した”Der echte Riese”と似たプロジェクトリーズの記載も気になるところです。
この2枚の書類は、第二次世界大戦終結後の1946年4月9日に作成されたもので、当時は機密文書だったことが窺える書類となっています。出自については判らなかったものの、本文からはIG・ファルベンの核開発への関与について、西側が調査を行った報告資料である事が読み取れます。
本文にはIG・ファルベンが”六フッ化ウラン”ガスの生成を進めていた事や、ウランを遠心分離方によって同位体分離させ、同位体の一つである“”ウラン235”の生成を進めていたことが記されており、書類下部には先ほどから続けて登場している“プロジェクトリーズ”の文字も確認できます。
この書類は文字がほとんどかすれて読めず、ドイツ語が記された何らかである以外はほとんど判りません。ただ、下段に記されたドイツ語”Vor dem Anschlag”は”攻撃前”と読め、IG・ファルベンの記載も見られます。
この新聞記事のスクラップは、1944年10月11日付けの英タブロイド紙“デイリー・メール”の一部で、ベルリンで60時間に渡って電話回線がダウンしたニュースを伝えています。この資料からはそれ以上の情報は読み取れませんが、イギリスは42年頃からドイツによる核兵器開発の調査を始めており、ドイツがノルウェーのRyukonにあった重水炉を用いた実験を進めていたとの説も唱えられました。
この記事に見られる電話回線のダウンの原因について、一説には核実験で発生したEMP(※ 参考:電磁パルス)により技術的なトラブルが発生したという説も存在しており、今回の資料に見られる一連のナチスによる核開発をより印象的に裏付けるためにTreyarchが用意した資料であると考えられます。
なお、ドイツ国内で実際に核実験が行われたかについては、今も決定的な資料や証拠が存在しておらず、これらのニュースも西側の推測を超える物ではありません。よって、この資料は電話回線のトラブルが核実験のEMPによる事故であるとの説をTreyarchがフィクションの一部として採用したものだと考えられます。
この地図は、ドイツはミンデン郡のヴェーザー山地やヴィーデン山地に造られた“U-Verlagerung”と呼ばれる地下工場を示しています。このU-Verlagerungでは武器を含む軍需品が生産され、ノイエンガンメ強制収容所や、Langenstein強制収容所、ランゲンシュタイン=ツヴァイベルゲ強制収容所(※ 参考)の囚人が強制労働に服していました。
なお、他の強制収容所施設と同様に、これらの施設とU-Verlagerungでも毒ガス“ツィクロンB”による大量虐殺が、計画的な管理に基づいて定期的に繰り返されていた事が知られています。
イメージには地下工場エリアの構造(※ 資料右下)が簡単に記され、左下部に地下工場の位置が重ねられた地図からはU-Verlagerungがいかに巨大な地下施設であったかが窺えます。なお、Youtubeでは現在のU-Verlagerung内部を撮影した以下のような映像が幾つか確認できます。
この書類はドイツで発行された新聞からの切り抜きで、写真に記されたキャプションからDyhernfurth(現在はポーランドの都市Brzeg Dolny)に建てられた毒ガス工場であることが判明、さらに、神経ガスの“タブン”と“サリン”、“ソマン”の発明者である化学者ゲルハルト・シュラーダーの名前が確認できます。
前回の番外編にも登場したIG・ファルベンのツィクロンBは、殺虫剤から生まれた毒ガスでしたが、当時IG・ファルベンに務めていたシュラーダーが1936年に新たに開発した“タブン”も同様に新しい殺虫剤の研究から生まれた物で、人間に対して筋肉の痙攣を引き起こし、窒息死させる効果が発見されたことから神経ガスとしての利用が本格化しました。
この後、シュラーダーは1938年に日本でオウム真理教が実際に使用し大きな悲劇を招いた“サリン”を誕生させ、1944年にはさらに毒性の高い“ソマン”、そして1949年には“シクロサリン”を続けて開発しています。
なお、シュラーダーのWikipediaには元々害虫の根絶による食料生産の増加から世界に多く存在した飢えを無くす事が開発の動機であった事が記されており、第二次世界大戦後には製薬企業バイエルで働いていたと記されています。
シュラーダーが発明した“タブン”は有機リン酸系の神経ガスで、この書類に写真が掲載されている毒ガスプラントでは3000人もの労働者が毒ガスの生成に従事し、戦時中に数万トン単位の“タブン”が生成された事が知られています。
ここまでIG・ファルベンとナチスドイツによる核兵器開発を示唆し、毒ガス開発の歴史的な事実などを示してきた第2回番外編の書類群ですが、今回最後にご紹介する書類はBlack Ops本編の敵組織であるGKと、アメリカ政府との深い関係性を如実に示した組織図です。
まず、書類に見られるOMGUSやUSFET(※ 詳細は後述)の文言から、この組織図が第二次世界大戦終結後のドイツ連合軍軍政期のものであることが判明。連合軍軍政期とは、第二次世界大戦が終結した1945年5月8日から1949年の東西分裂まで続いた連合国4ヶ国軍(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連)による分割統治された時代を指すもので、この時代に起こったソ連によるベルリン封鎖以降、Black Opsの背景でもある東西冷戦が本格化することになります。
以下に掲載した図の上部は連合軍軍政期のドイツ分割統治における各国の占領域を表し、下部はベルリン市内の分割占領域を示したものですが、それぞれの占領域からは各国のパワーバランスが絡む複雑な分割が行われていたことが見受けられます。
また、書類に記載されている“OMGUS”と“USFET”とは、ドイツ分割統治を担当したアメリカ政府の軍組織を指すもので、詳細は以下のようになっています。
- USFET:United States Forces European Theater(アメリカ欧州軍)
- OMGUS:Office of Military Government, United States(米国ドイツ軍政庁)
当時の分割ドイツの一部を統治したアメリカのOMGUSは、フランクフルトに構えるIG・ファルベン社ビルの正面に本部を構えていたことが知られており、これまで番外編で紹介してきた通り、深い関係性を如実に体現しているとも言えます。
以上を前置きに書類を見ていくと、この書類はドイツの各州統治における指示系統や担当組織を図にしたもので、大まかに以下の様な内容になっていることが判りました。
さらに、一番気になる上左部に記載された“GK Group”の箇所を拡大すると以下の様になっています。
この右の囲みに記された“Military Governor”と“Theater Commander”の文言は軍政長官と戦域司令官を指しており、このポストを務めたのは第二次世界大戦中のヨーロッパ連合軍最高司令官で第34代アメリカ合衆国大統領でもあるドワイト・D・アイゼンハワー或いは、1947年3月に軍政長官を引き継いだルーシャス・クレイ将軍の2名以外に存在しませんが、これまでの物語的な流れと、クレイ将軍による統治が1年強で終わった事を鑑みれば、アイゼンハワー大統領とGKの間に深い関係があったと考えるのが適当ではないかと思われます。
さらに、ここまでの情報に加え、1951年の財閥・トラスト解体政策によりIG・ファルベンが解体される史実を加味すると、GKはIG・ファルベンの代替(或いは後継)組織として何らかの役割を持ってアメリカ(或いはトルーマン大統領)により設立された組織であることが容易に想像できます。
これらの内容を総合すると、本編で前面に描かれたGKと主人公達のNOVAガスを巡る戦いの対立構造はあっさりと崩れ去り、可視化されない大きな物語によってお膳立てされ、仕組まれた戦いだった事は明らかで、ケネディ大統領暗殺を実現するためのブラフだったとさえ取れなくもありません。
真にケネディ大統領の暗殺を望み、目論んだのは“誰”だったのか、引退を決意したトルーマン大統領が1948年の大統領選挙で直接支持したとも言われるアイゼンハワー大統領の誕生や、その後ケネディがニクソンに勝利した1960年アメリカ合衆国大統領選挙におけるアイゼンハワーの心変わり、そしてマクナマラ長官の動向などは、今後の解読に大きな影を投げかける重要な要素となりそうです。
今回何度か記載が見られた“Projekt Riese”について少し簡単に補足しておきます。史実としてのProjekt Rieseは、ナチスドイツがオウル山地を中心に進めていた複数の施設からなる地下工場と炭鉱施設を指しており(参考:wikipedia)、アウシュビッツなどから1万3,000人近い労働者達がこの計画に従事させられ、5,000人以上の労働者達が命を奪われたことで知られています。
これまでに登場した資料や、Call of Duty: World at WarでのDer Rieseマップを振り返ると、TreyarchはProjekt Rieseをドイツの怪しげな研究を地下で秘密裏に進めていた秘密プロジェクトと設定している様子で、Black Opsの設定ではナチスドイツの核開発が地下施設で進められていたという陰謀論説を新たに採用したものではないでしょうか。
なお、書類22で紹介したU-Verlagerung内部と同様に、Projekt Rieseの関連施設跡も映像が存在しており、現在の内部が以下の動画などで確認できます。
最後に改めてCall of Duty: Black Opsのデビュートレーラーを振り返ってみます。このトレーラーは当初GKがメイソンに対して尋問しているシチュエーションを描いたものと考えられていましたが、既にプレイ済みの方なら判る通り、ここに描かれた拷問部屋はペンタゴン内の施設に違いありません。
ゲーム内でメイソンに尋問していたのはハドソンとウィーバーでしたが、トレーラー内で喋っている人物はこの2人とも違うドイツ訛りの“誰か”です。そして、トレーラーの中で語られた“The pain is difficult isn’t it?”は全く別のシーンでレズノフが同じ台詞を喋っていたことが確認されています。(※ レズノフからメイソンが書類を手渡されるシーン)
今後これらの謎がすっきりと解決を見るのか、次回は残る8枚の書類を分析する番外編の第3回をお送りし、その後本編の謎に戻る予定で調査を進めております。すっかり時間が空いてしまい大変申し訳ないかぎりの暗号解析企画ですが、まだまだ続けていきますのでどうか今後もお楽しみに!
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