「サウスパーク:スノーデイ!」解説第3回 – トレイ・パーカーとマット・ストーンが紡ぎ出すストーリーの魅力とその本質について

2024年4月27日 11:50 by katakori
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「South Park」

先日ご紹介した「サウスパーク:スノーデイ!」解説の第2回は、本作を満喫するために役立つ「サウスパーク」の基本にスポットを当て、原作アニメの概要やゲームの背景に関係するエピソードの情報をまとめつつ、「サウスパーク:スノーデイ!」の物語的な魅力が、過激な風刺や時事問題の描写、社会批判等に象徴される「サウスパーク」の広く一般的なイメージや印象から少し離れた場所にあることをご紹介しました。

最後の解説となる第3回は、紹介が遅れていた「サウスパーク:スノーデイ!」ストーリーキャンペーンのゲームプレイに関するディテールをご紹介した上で、前回の最後に“じゃない方”と言及した「サウスパーク」が持つもう一つの大きな魅力について掘り下げ、「サウスパーク:スノーデイ!」ならではの魅力とそのコンセプトについて考えてみたいと思います。

「サウスパーク:スノーデイ!」のストーリーキャンペーンについて

これは、これまでにも何度かご紹介してきた「サウスパーク:スノーデイ!」のリリーストレーラーですが、実のところ、この映像が非常に良く出来ていて、かなり核心的な部分にまで肉迫するプロットのあらましが分かりやすくまとめられています。

「サウスパーク:スノーデイ!」のストーリーキャンペーンは、前回の解説ご紹介した“South Park: The Stick of Truth”とその翌日の事件“South Park: The Fractured but Whole”にて描かれた出来事と、アニメのあるエピソードを経て起こった“その後”を描くコンテンツ。

ある日、サウスパークの町を突如襲った猛吹雪によって小学校が休校となったことから、はしゃぐカートマンたちが早速二手に分かれて大雪の中で遊び始めるものの、どうも何か様子がおかしい……その謎を巡るというストーリーを描いています。

ストーリーキャンペーンの進行とマルチプレイヤーの仕様について

「South Park」

本作のストーリーキャンペーンは、5つのチャプターで構成され、大雪の一日に起こった出来事、そしてカートマンに導かれ吹雪を引き起こした真の黒幕を追う“新入り”の活躍を描いています。

各チャプターは、ストーリー展開を描くカットシーンとアップグレード/クソ強カードを選ぶオープニングで始まり、それぞれに固有の目標が用意された5~6つ程度の中規模なマップを順次クリアすることで進行し、道のりの最後には強大なチャプターボスと対峙することになります。

個々のマップのサイズは様々で、進行そのものは概ねリニアながらも、多くの探索要素や簡単な環境パズルなどが用意され、多彩なギミックを備えた目標にも工夫が凝らされているほか、チャプターによってはラン毎にマップや目標そのものが別のパターンに変化する場合もあり、コンパクトながらもバリエーション豊かなゲームプレイとランスルーが楽しめます。

また、本作の戦闘は常に4人Co-opで行われるのですが、友人とプレイしていない場合は、AI操作のチームメイトが残り3人の操作を担当し、プレイヤーを助けてくれます。彼らは、戦闘が始まった場合のみ出現し、戦いが終わると自動で去っていくため、ソロプレイ時の探索を邪魔しない仕様になっているのも嬉しいところ。

「South Park」

ちなみに本作のマルチプレイヤーは、非常にシンプルな作りながら、途中参加と途中退出、フレンドリスト、マッチメイキングに対応していて、いつでも気軽に楽しめるのが魅力の一つ。

なお、戦闘中に体力が0になった場合、プレイヤーはダウン状態となり、(AIを含む)仲間に蘇生してもらえば復活できますが、復活がかなわずチームが全滅した場合はゲームオーバーとなり、ランそのものが終了。マップ単位のやり直しやチェックポイント系のシステムはなく、チャプターそのものを最初からやり直す必要があります。

また、ラン中に獲得した各種アップグレードはチャプターのクリア後、もしくはゲームオーバー時にリセットされますが、プレイヤーを強化する各種パークの解除に必要となるリソース“ダークマター”は、チャプタークリア/ゲームオーバー後に持ち越されるため、ランの失敗も無駄にならず、永続的な強化を得ることが可能です。

紆余曲折あった「サウスパーク」ビデオゲームの歴史と変遷

「サウスパーク:スノーデイ!」は、前述したストーリーキャンペーンを通じて、アニメのクリエイターであるトレイ・パーカーとマット・ストーンが開発に深く関与し、2人が直接手がけたシナリオとストーリーで描かれるアニメシリーズ相当の物語とキャラクター描写、アニメと同等の品質で描かれる2Dカットシーンが見どころの一つだと言えます。

世に数多あるライセンスものビデオゲームにおいて、クリエイターが深く関与し品質までコントロールするタイトルは希少であり、「サウスパーク:スノーデイ!」はその点で非常に贅沢なタイトルだと言えるわけですが、27年に及ぶ「サウスパーク」の長い歴史におけるビデオゲーム化の取り組みは決して平坦な道のりとは言えない、非常に苦々しい歴史を積み重ねだったことが知られています。

また、「サウスパーク」の本格的なビデオゲームがしっかり日本国内向けにローカライズされ、複数のプラットフォーム上で楽しめるということ自体が実は初めての事態でもあるので、一度「サウスパーク」ビデオゲームの歴史と主要なタイトルをまとめ、悪いライセンスものを象徴するような時代もあったフランチャイズの過去と、現在の成功へと至る流れを振り返ってみましょう。

■ 「South Park」(1998年12月21日発売)

「South Park」

Iguana Entertainmentが開発を手がけ、Acclaim Entertainmentが販売を担当した「サウスパーク」ビデオゲームの記念すべき1作目。アニメシリーズのシーズン3放送中に発売されたことを考えると、ビデオゲーム化そのものはかなり早かったと言えます。

本作の対応プラットフォームは、Nintendo 64とWindows PC、初代PlayStationで、Iguanaが1998年にリリースした“Turok 2: Seeds of Evil”の内製エンジンを使用した一人称シューターとして発売されました。

シングルプレイヤーモードのストーリーは、悪の存在を宿す謎の彗星が地球を通過したことで、サウスパークの町に様々な悪者が到来し、町の平和を取り戻すためにカートマンとカイル、スタン、ケニーが戦うというもの。

「South Park」

また、本作はマルチプレイヤーモードも搭載しており、コンソール版はローカル対戦、PC版はオンライン対戦に対応し、ウェンディやジンボ、ギャリソン先生等を含むマルチ専用の多彩なプレイアブルキャラクターとそのアンロック要素を用意していました。

なお、本作はホリデーシーズンの発売に間に合うよう急いで開発された経緯もあり、アセットの反復的な使い回しや品質の低さが目立ち、メディアの評価は極めて低く、劣悪なライセンス作品のお手本とされるような結果に終わりました。

トレイ・パーカーは、七面鳥をひたすら倒し続ける最初のレベルが余りに単調だったせいか、本作を“最もくだらないビデオゲーム”の一つだと批判しており、残念ながら長らく(実に15年近く!)“サウスパーク”のビデオゲーム開発に対する情熱を著しく損なわせる直接的な要因の一つとなってしまいます。

■ 「South Park: Chef’s Luv Shack」(1999年10月12日発売)

「South Park」

前述の1作目に続いて、Acclaim Entertainmentがパブリッシングを担当したビデオゲームの2作目。開発はちょうどIguanaから名称を変更したばかりのAcclaim Studios Austin。対応プラットフォームは、ドリームキャストと初代PlayStation、NINTENDO64、Windows PCでした。

「South Park: Chef’s Luv Shack」は、お馴染みシェフが自身と情熱的な週末を過ごせる権利を賞品として用意したクイズ・ゲームショーを描く(当時すでに大きな成功を収めていたYou Don’t Know Jackやマリオパーティ系の)ミニゲーム集パーティゲームで、トリビアや早押しクイズ、(アステロイドやドンキーコング、バルーンファイト、ゲームウォッチ等のクローンを含む)20種のミニゲームを特色としており、プラットフォームによって上限が異なるものの、最大4人で楽しめるマルチプレイに対応していました。

前作ほどではなかったものの、こちらも評価は奮わず、次にご紹介するAcclaimの“South Park Rally”とまとめてクリエイター2人が嘲笑的にいじるネタの一つに含まれています。

■ 「South Park Rally」(2000年1月5日発売)

「South Park」

Acclaim Entertainmentによる最後の“サウスパーク”タイトルで、現在も支援スタジオとして活躍するメルボルンのTantalus Mediaが開発を担当したマリオカート系のカートラリーゲーム。対応プラットフォームはドリームキャストと初代PlayStation、NINTENDO64、Windows PC。

本作はTantalus初のオリジナルタイトルで、14種のレースを戦い抜くチャンピオンシップやアンロックしたマップやキャラクターでプレイできる練習用のアーケード、最大4人で楽しめるマルチプレイヤーといったモードを搭載していましたが、これまた仕上がりは芳しくなく、評価は低迷。マット・ストーンとトレイ・パーカーもこれを公然と批判しているものの、NINTENDO64版が100万本を超える販売を記録したことが知られています。

品質の低さで十分な評価が得られなかったAcclaimの初期3作品は、以後10年近く渡ってコンソール向けの本格的なビデオゲームがリリースされない事態を招いてしまいます。

余談ながら、このラリーの発売から次にご紹介するタワーディフェンスタイトルまで、9年間のブランクが生じている間に、幾つかオフィシャルな小規模ブラウザゲームをはじめ、モバイル向けのゲームやシリーズ屈指のとち狂ったエピソード(かつ非常に感動的な内容を描いた)イマジネーションランドをテーマにしたプラットフォーマーなどがリリースされています。

■ 「South Park Let’s Go Tower Defense Play!」(2009年10月7日発売)

「South Park」

Acclaim作品の販売と失敗を経て、10年近い沈黙を破ったのがMicrosoft Game StudiosとDoublesixによるXbox Live アーケード向けのアクションタワーディフェンスゲーム「South Park Let’s Go Tower Defense Play!」です。

本作は、Acclaimによるビデオゲーム展開の失敗を経て、この失敗を払拭すべく2007年に設立された“South Park Digital Studios”が計画を主導した初めてのタイトルで、スタジオのトップは、創設当初から初期の3作品が残した後味の悪さを克服することこそが最大のハードルだと公言。高品質かつオーセンティックなアセットの提供だけでなく、新規のデザインやアニメに忠実な品質のカットシーン制作、新規台詞の収録等も行い、脚本やその他コンテンツ、QAまで担当し、初期作品が残したトラウマの払拭に注力しました。

こういった取り組みが功を奏し、本作はタワーディフェンスゲームとして十分に楽しめる品質に達しただけでなく、カートマンたちが町を守るために様々な敵と戦い、真の敵を追うひねりのあるシナリオも上々で、当時における過去最高の“サウスパーク”ゲームとして、確かな評価を獲得しました。

■ 「South Park: Tenorman’s Revenge」(2012年3月30日発売)

「South Park」

タワーディフェンスの成功を経て、2つ目の“サウスパーク”Xbox Live アーケードタイトルとしてリリースされたのが、Other Ocean InteractiveとSouth Park Digital Studios、Xbox Live Productionsによるプラットフォーマーアドベンチャー「South Park: Tenorman’s Revenge」です。

本作は、9年生のスコット・テナーマンによって奪われたカートマンのXbox 360用ハードドライブを取り返すために、いつもの4人が謎のポータルに飛び込み、未来のサウスパークやミスター・ハンキーの下水道、天国と地獄など、様々なロケーションで戦いを繰り広げるプラットフォーマーアクション。

4人Co-opやそれぞれに異なる特性を持つ個性的な主人公たちなど、魅力的な要素は多いものの、肝心なプラットフォーマーアクションや操作性が非常に悪く、レベルデザインも凡庸だったことから評価は散々なもので、先ほどのタワーディフェンスでようやく払拭した低品質なライセンスゲームの印象を再び甦らせる結果となってしまいました。

■ 「South Park: The Stick of Truth」(2014年3月4日発売)

「South Park: The Game」 サウスパーク
参考:GI誌の表紙を飾ったカバーアート

これまでの経緯を経て、トレイ・パーカーとマット・ストーンの両氏が以前から夢見ていた“サウスパーク”の本格RPGを実現すべく、遂に自らビデオゲーム開発に乗り出した記念すべき最初の作品が名門Obsidian EntertainmentとUbisoftの「South Park: The Stick of Truth」です。

本作は2011年12月にGame Informer誌最新号の表紙を飾り、Obsidian EntertainmentとTHQの新作「South Park: The Game」として大々的にアナウンスされ、2012年後半の発売を予定していましたが、2012年中頃から資金繰りで危機的な状況に陥っていたTHQが2012年12月に倒産。夥しい数のIPやスタジオが競売に掛けられるなか、Ubisoftが本作のパブリッシング権を326万5,000ドルで購入する紆余曲折を経て、2014年3月に無事ローンチを果たしました。

「South Park: The Stick of Truth」の企画は、トレイ・パーカーとマット・ストーンが直接Obsidian Entertainmentにコンタクトを取り、“サウスパーク”のロールプレイングゲームを作りたいと打診したことから実現したもので、元々“Fallout: New Vegas”の大ファンだったトレイ・パーカーが“The Elder Scrolls V: Skyrim”に匹敵するような“サウスパーク”RPGを作るならば、Obsidianしかいないとアプローチした経緯もあって、本作はまさにObsidian Entertainmentとクリエイター2人による文字通りの共同開発プロジェクトとして誕生しました。

「South Park」

Obsidian Entertainmentには、アニメの制作に用いられた全アセットへのアクセスが提供されたため、本作はこれまでで最も忠実に“サウスパーク”世界を再現した作品となったほか、本作のファンタジー設定をベースにしたアニメの三部作エピソードまで放送され、各所で極めて高い評価を獲得。幾つかのGOTYを含む多数の受賞を果たしました。

惜しむらくは、国内向けにローカライズされなかったことで、購入もやや難しいことから、日本ではプレイ自体に低くないハードルが存在しています。

■ 「South Park: The Fractured but Whole」(2017年10月17日発売)

「South Park」

“South Park: The Stick of Truth”のシステムを踏襲(エンジンは新たにSnowdropを採用)した直接的な続編。Ubisoft San Franciscoが開発を主導したほか、トレイ・パーカーとマット・ストーンも引き続き開発に参加し、シナリオの執筆やボイスアクトを担当しました。

「South Park: The Fractured but Whole」は、子供たちがファンタジーごっこを楽しんでいた“The Stick of Truth”の翌日に始まり、マーベル/DC的なヒーローフランチャイズの確立と映画/ドラマ化で一山当てたいカートマンたちと新入りの活躍を描き、前作“The Stick of Truth”に続いて高い評価を獲得しました。

また、本作の発売を経た翌月には、モバイル向けのスピンオフとなる収集系F2Pカードゲーム「South Park: Phone Destroyer」がリリースされ、前2作でファンタジーLARPとスーパーヒーローごっこを楽しんだ子供たちが次に何で遊ぶか、そのすったもんだを軸に“新入り”の活躍を描き人気を博しました。

余談ながら、“The Fractured but Whole”も日本語ローカライズが用意されていないため、冒頭でご紹介した通り、トレイ・パーカーとマット・ストーンが本格的に開発に参加したタイトルのなかで、日本語ローカライズがしっかりと用意されたマルチプラットフォームタイトルは「サウスパーク:スノーデイ!」が初めてということになります。

ということで、“サウスパーク”ビデオゲームの要は、トレイ・パーカーとマット・ストーンがしっかりと参加しているかどうか、彼らがシナリオやストーリーを手がけ、品質の手綱を握っていることに集約されると言え、「サウスパーク:スノーデイ!」はその点でオーセンティックな“サウスパーク”ビデオゲームとしての要件を満たしているわけです。

しかし、彼ら2人が描く「サウスパーク」にどんな価値があり、魅力が宿ることになるのか、国内でオリジナルのアニメを視聴するのが困難な状況が続いていることに加え、ビデオゲームについても国内では十分に展開されてこなかった歴史があるため、「サウスパーク:スノーデイ!」のストーリーキャンペーンにも通底する、「サウスパーク」そのものの本質的な魅力にスポットを当ててみたいと思います。

アメリカを描くということ、その当事者性と子供たちにまつわる社会の残虐さ

参考:S26E6の一部を紹介する公式映像、一目でそれと分かる酷いパロディと無軌道な大人たち
一方で、Warhammer 40,000を黙々とプレイするスタンとトールキンが描かれている

前回の解説でもご紹介した通り、「サウスパーク」という作品は、アメリカ社会のあらゆる要素を挑発し、タブーを恐れることなく名指しで対象を批判するような、どぎつい風刺をユーモラスに描くブラックコメディとして広く知られています。

1997年8月の放送開始から26ものシーズンを重ね、今後も少なくとも8本の長編エピソードとシーズン30までの制作が決定済みであることからも、シリーズの異様な人気ぶりが窺えると言えますが、この成功を支える本質には“アメリカを描く”という行為が多分に含まれています。

“アメリカのあり方”というテーマは、それだけで表現やクリエイティブのモチーフとなる強固なもので、馴染み深いビデオゲームで言えば、“Grand Theft Auto”シリーズを筆頭に、“BioShock”から“Fallout”、“Call of Duty”など、例を挙げればキリがなく、映画やドラマ、コミック、音楽、小説など、その他のカルチャーまで範囲を拡げてみても、トップを走るクリエイターやコンテンツがこぞって、アメリカのあり方、有り様を批評的に描き続けています。

同様のアプローチで、例えばイギリスやドイツ、フランス、或いは日本のあり方を、その内部からエンターテインメントとして商業的に描いている作品がどれだけあるか、(国内外を含め幾つかの素晴らしい作品が存在していることは当然として)その量と規模、頻度が桁違いであることは明白です。

これは、ひとえに“アメリカ”という国が50年代から(良くも悪くも)内包してきた、社会全体の大きな揺れ、その振り幅と反動の大きさがもたらす対立構造やダイナミクス、繁栄と衰退、成功と分断といった動きから目が離せないこと、これを劇場的に観察する文化的な手法と基盤が長年に渡って構築されてきたことに由来します。

この“アメリカのあり方”というテーマは、多くの時代を通じて悲劇的、ときには楽観的に描かれてきたわけですが、その根底には、30年代の大恐慌を経て50年代に台頭した中産階級の存在、アメリカ社会の基盤を揺るがした公民権運動、ビートニクやヒッピームーブメントに代表されるカウンターカルチャーがもたらした大きな変革と映画“ロッキー”の登場に象徴されるニヒリズムの敗退、そこに暗い影を落としたベトナム戦争の敗北など、解放や抑圧、自由を巡って今も渦巻くとてつもない量のエネルギーが流れているわけです。

しかし、冷戦が終結し、80年代に始まったレーガノミクス(レーガン大統領による経済政策)がもたらした新自由主義は、国家の公共・福祉サービスを縮小し、大規模な規制緩和で民営化を推進することによって(当初見込んでいた富のトリクルダウンなどは当然起ころうはずもなく)格差ばかりを拡大しました。今なお続く社会的・構造的な分断はこの頃に深まりはじめ、湾岸戦争の失敗がアメリカ社会の精神的な分断をいよいよ決定的なものにしてしまいます。

つまり、80年代以降のアメリカは、“アメリカとは何か”という問いを強固にしていた、資本主義経済や民主主義、自由を導くリーダーであるという価値観を失ったばかりか、ベトナム戦争と湾岸戦争の手痛い失敗によって、自分たちが何と戦っているのかさえ見失うことになったわけです。

この喪失による揺り戻しが今なお続いていることは、ドナルド・トランプが掲げる“メイク・アメリカ・グレート・アゲイン”(※ この言葉は元々1980年の大統領選挙でロナルド・レーガンが用いたもの)のスローガンをはじめ、ラストベルトに象徴される捨て置かれた中間層の存在、山積みとなっている移民・人種問題の現状を見ても明らかであり、90年代以降のアメリカにおけるエンターテインメントは、誰が敵なのか分からなくなってしまった状況、そこで自己を見失うヒーロー、その自問自答と内省的な自己言及、何かを取り戻そうとする苦悩をテーマとして描くことが広く一般化していくことになります。(90年代の代表的な例としては、ミッション・インポッシブルやバットマン、許されざる者など、その後も24やボーンシリーズ、アメリカン・スナイパーなど、この系譜は脈々と続いていくことになり、時にはこれに対するカウンターも登場することも)

「サウスパーク」の面白さに潜む悲劇

「South Park」

前置きが長くなりましたが、「サウスパーク」の面白さというのは、こういったアメリカのダイナミズムから生じる残虐さを誰よりも敏感に感じ取り、これを素早くコンテンツ化する同時性にある一方で、本作がブラックコメディであるという(面白き)ことは、本質的に「サウスパーク」が内包している“悲劇性”からきています。

これは、チャップリンの言葉として広く知られる、人生をクローズアップすれば悲劇だが、遠くから見れば喜劇になるということ、つまり誰かがバナナの皮ですべった際、本人にとっては痛みを伴う悲劇でしかない一方、これを舞台で見せればお笑いになるという、笑いの性質に関わるもので、私たちは「サウスパーク」がつぶさに描きだす子供たちの“悲劇”を楽しんでいるわけです。

これこそ「サウスパーク」が鋭い社会時評・風刺・批判として機能しつつ、痙攣的な笑いでエンターテインメントを両立させる主要なアプローチの一つであるわけですが、ここで面白いのは、本作の描写や表現が正しいかどうか、批評として優れているかどうかというのはさほど重要ではないという点です。

特に、サウスパークは、そのスピードの早さや極端なカリカチュアライズ、表現のバイアスなどから、“間違い”も多くあるコンテンツですが、そこには作品によってそれぞれに異なる“当事者性”という見どころがあり、これもまた「サウスパーク」の大きな魅力を担う、実に興味深い要素の一つだと言えるでしょう。

イギリスの作品である“Grand Theft Auto”を例に考えてみましょう。イギリスからアメリカを批評的に描く際に、描写や表現、社会構造の分析が正しく行われていなければ、これは単に品質が低いだけで、特に面白くないわけですが、“Grand Theft Auto”シリーズは批評的な解像度が極めて高いだけでなく、常に対象と一定の距離を保つ冷ややかな客観性のようなものが大きな魅力の一つであり、これを逸脱することはありません。

日本やイギリス、その他の国で作られ、経済や軍事的な設定を緻密に積み上げたアメリカ批評的な作品に面白いものが確かに存在する一方で、時に“Call of Duty: Modern Warfare”シリーズのような、一見稚拙にも思える(或いはある種のバイアスを感じさせるような)直球の一大エンターテインメントがこれを軽く飛び越えるような、身もふたもない“リアル”や欲動を体現してしまうのは、他に代えがたい“当事者性”が生み出すマジックであり、「サウスパーク」を安全に楽しめているということは、見る者がはなから当事者ではない“外部性”を担保していることにほかなりません。

こういった「サウスパーク」におけるアメリカ社会の“当事者性”は、他のメディアやコンテンツに容易に置き換え可能で、「サウスパーク」の視点やその方向、距離、焦点を少しいじってみれば、その批評や風刺、問題提起は、アメリカーナの幻想や虚飾、衰退を描くラナ・デル・レイやテイラー・スウィフト、ビヨンセ、或いはビリー・アイリッシュの作品にそのまま置き換えられます。

参考:ラナ・デル・レイの“Arcadia”

同様の事象として「サウスパーク」は、ロバート・レッドフォードの映画“普通の人々”や“ドゥ・ザ・ライト・シング”を含むスパイク・リー作品、あるいはコッポラの“ゴッドファーザー”でさえあると同時に、アメリカにおける近年の貧困層の暮らしを子供の視点から描いた“フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法”でもあると言えるわけです。

また、「サウスパーク」がNワードを連発させ、人種差別問題や政治的な正しさについて社会的な議論を巻き起こしたシーズン11 – エピソード1“With Apologies to Jesse Jackson”における人種間の逆転的な反応(多くの白人がサウスパークに激怒した一方で、公民権団体や多くの黒人たちはこれをさほど問題視せず、一部からは称賛の声もあがるなど、アメリカで“差別”がどう扱われているか、その忌避的な本質を逆説的に示した)は、売れない黒人文学者が、うんざりするようなステレオタイプの黒人ギャングスターエンタメ小説を書いて爆発的なヒットを生みだし右往左往する様子を描いたコード・ジェファーソン監督の映画「アメリカン・フィクション」が鮮やかに暴いてみせた“偽善”ともはっきり通底しており、こういった広範囲な類似は「サウスパーク」がもつ強力な“当事者性”を如実に示していると言えるのではないでしょうか。

小学三年生と四年生の目から見たアメリカ社会、そこで育つということ

「South Park」

こういった“当事者性”は、もちろんアニメについても同じことが言えます。“サウスパーク”以上の長い歴史を持つ化け物長寿アニメ「ザ・シンプソンズ」を筆頭に、傑作「ボージャック・ホースマン」、セス・マクファーレンの「ファミリー・ガイ」、マイク・ジャッジの「ビーバス・アンド・バットヘッド」と「キング・オブ・ザ・ヒル」、さらには「フューチュラマ」に至るまで、鋭いアメリカ批評や風刺を扱う当事者性の高いアニメは数多く存在します。

これらは、それぞれに素晴らしい魅力を持つ優れた作品ですが、「サウスパーク」がこれらの作品と決定的に異なるところは、小学生たち、とりわけ8~9才の視点からアメリカ社会を描いているという一点に集約されます。

今回の解説でご紹介した、「サウスパーク」的作品、あるいはアーティストの多くは、(映画“フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法”を除けば)ほぼ全てが大人の視点でアメリカを扱っていますが、この違いこそが前回の解説の最後にご紹介した、「サウスパーク」について一般的に想起されがちな社会風刺“じゃない方”の魅力を担う要素です。

先ほど駆け足でご紹介した、カウンターカルチャーの終焉と80年代以降の分断、新自由主義がもたらした格差を文字通り象徴するような「サウスパーク」の大人たちは、ランディやギャリソン先生、ケニーの両親を筆頭に、ほぼ例外なく“責任を取らない、或いは放棄した大人”として登場します。

カートマンやカイル、スタン、ケニー、バターズたちは、みな圧倒的な弱者として自己責任の下で生きているだけでなく、親の世代が残したツケをずっと払わされる世代そのものであり、そこに社会の残虐さを取り除いてくれる、かつて“模範的”だったはずのアメリカ的な古き良き大人は誰もいません。

「サウスパーク」の大人たちは性的な欲動に起因する行動原理によって様々なトラブルを巻き起こし、自己の欲望をまっすぐ追求する一方、社会そのものに縛られている存在でもあるわけですが、子供たちはまだ現実的な性的欲動を持たない純真かつ、真に混沌とした存在であり、社会的な抑圧や規範、政治的な事情、正しさ、宗教的な重圧によって行動や言動に制限を受けず、大人の口からは決して語られないようなタブーにさえ、素朴な疑問を呈し、よく分からない大人の事情や矛盾、偽善に配慮することなく、無邪気に中指を突き立ててくるわけです。

「サウスパーク」が描くコメディの面白さというのは、惨劇といっても過言ではない、この悲劇的な状況を極端にカリカチュア化したものであり、それでもなお彼らに共感を覚え、愛着を感じるのは、こういった状況でもなお、社会をサバイブし、活き活きと動き回る子供たち、彼らが持つ魅力が悲劇性を上回る力強さで描かれているからにほかなりません。

先ほど、「サウスパーク」に近しい作品として、「ザ・シンプソンズ」や「ファミリー・ガイ」を挙げましたが、(ボージャック・ホースマンを除く)これらの作品がスラップスティック的手法で悲劇性を和らげ“笑い”を強化する一方で、「サウスパーク」の子供たちがとんでもない馬鹿騒ぎを繰り広げても、そこにスラップスティック的な感覚が薄いのは、そもそも“悲劇性”を意図して薄めようとしていない、視聴者にさえ気まずい毒を食らわせつつ笑わせようとするアティチュードか、或いは子供を視点に据えること自体の利点なのかもしれません。(※ 先に挙げた作品群は、何かで中和しなければ単純にしゃれにならない部分も多くあり、ボージャック・ホースマンはそもそもコメディを装った悲劇であるので)

この構造を裏付けるコンセプトの一つに、トレイ・パーカーとマット・ストーンがしばしば口にするフォーミュラ“Boys being Boys”(子供はいつでも子供である)があり、彼らがお気に入りに挙げる“サウスパーク”のエピソードには、何の社会性も持たないような“子供たち”だけの回がしばしば挙げられ、彼らは「サウスパーク」がアメリカの小学校や社会で育つことに焦点を当てていると強調しています。

“Boys being Boys”の代表的な例は、なんといってもあの指輪物語パロディの傑作回“The Return of the Fellowship of the Ring to the Two Towers”[シーズン6 – エピソード13、邦題:18禁ロード・オブ・ザ・ビデオ]、カートマンたちが徳川家の忍者になりきって妄想ごっこを楽しんだ“Good Times with Weapons”[シーズン8 – エピソード1、邦題:キケンなニンジャごっこ](※ サウスパーク:スノーデイ!には、このエピソードのネタも仕込まれているのでオススメ。日本語主題歌も最高)、World of Warcraftをプレイしまくる最高に酷い回“Make Love, Not Warcraft”[シーズン10 – エピソード8]などが挙げられるでしょう。

こういったエピソードに顕著な、過度に社会的でない子供たちのエピソードとその面白さこそが「サウスパーク」の過激さを下支えし、社会の残虐さに負けない力強さを保っている本質の一部で、今年3月にIGNのインタビューに応じたマット・ストーンは、「サウスパーク:スノーデイ!」もまた“Boys being Boys”な作品であることを明言しています。

これがまさに“じゃない方”の魅力であり、中期以降どんどん薄れつつあるこの要素を色濃く反映した「サウスパーク:スノーデイ!」は、過去2作で存分にやりきった(やり過ぎたといっても相違ない)過激さから距離を置き、原点回帰的とも言えるような活き活きとした子供たちの一日をたっぷりと描いているのです。

もう一つ、特筆しておく点として、ここ数年のアメリカを蝕んでいる社会の“残虐さ”が「サウスパーク」的フィクションすら超えつつあることが挙げられます。

象徴的な出来事は2020年のアメリカ大統領選挙であり、細かく言及しはじめるとキリがないのではしょりますが、ここ数年で現実の方が「サウスパーク」によって誇張された虚構や風刺を上回るような思いもよらない事態が少なからず生じており、「サウスパーク」の表現や方向性にも一定の影響を与える状況となっています。

全く笑えない社会の残虐さが、現実として眼前に立ちはだかる状況で機能するカウンターは何か、現在の「サウスパーク」には、それを模索しているような形跡さえ見られます。(例えば、シーズン26 – エピソード6“Spring Break”)

トレイ・パーカーとマット・ストーンが自らシナリオを手がけた「サウスパーク:スノーデイ!」のキャンペーンが何を描いているのか、これまで作品全体が“善きサマリア人の実験”なのではと思えるような罠を張り巡らせてきた2人はうなるほど巨大な富を手にして何もかもがどうでもよくなったか、それとも彼らが何かの大切さをまっすぐに説かねばならないほど、アメリカ社会が切迫した状況に陥っているのか、最新の「サウスパーク」が気になる方は、是非「サウスパーク:スノーデイ!」をプレイして、本当に酷すぎる(最高の)ラスボス戦とエンディングをチェックしてみてください。

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